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福岡高等裁判所 昭和57年(ネ)215号 判決

《目  次》

当事者の表示

主文

事実

第一 当事者の求めた裁判

一一審原告ら

二一審被告鐘化

三被控訴人ら

第二 当事者の主張〈省略〉

一請求原因

二請求原因に対する一審被告及び被控訴人らの認否及び主張

第三 証拠〈省略〉

理由

第一 当事者

第二 本件油症事件の発生及び経過の概要について

第三 カネクロールについて

第四 カネクロール四〇〇のライスオイル中への漏出経路及び本件油症事故の原因について

一カネミライスオイルの概念、同製造工程の概要について

二カネクロール四〇〇の漏出経路及び事故原因について

1(事故原因の想定)

2ピンホール説とその問題点について

3工作ミス説とその問題点について

4工作ミス説の発端

5工作ミス説の相当性について

6(結論)

第五 被控訴人カネミの責任

一(食品製造業者の一般的責任)

二被控訴人カネミの具体的責任

第六 被控訴人加藤の責任

第七 一審被告鐘化の責任

一PCBを製造販売したこと自体の責任について

二PCBを食品工業用熱媒体として製造販売した責任について

1食品製造関連業者の安全確保義務

2前提事実

3本件油症事件当時のPCBの毒性認識

4具体的注意義務

(一) 一審被告鐘化の当時の毒性認識

(二) 合成化学物質製造者の責任

(三) カネクロール四〇〇の食品工業用熱媒体としての供給について

(四) 警告義務について

(五) 被控訴人カネミのとつた措置の非常識性について

第八 被控訴人国の責任

一被控訴人国の第一の責任について

二被控訴人国の第二の責任について

1(権限不行使が国賠法上の違法性を帯びる要件及び反射的利益論について)

2内閣及び厚生大臣の不作為の違法性について

3国の機関としての福岡県知事、北九州市長の不作為の違法性について

4食品衛生監視員の不作為の違法性

三ダーク油事件について

1(ダーク油事件の概要)

2(ダーク油事件の経過とこれに対する行政及び関係者の対応)

3(ダーク油事件に際しての被控訴人国の国賠法一条に基づく責任の存否)

(一) 福岡肥飼検の公務員

(二) 農林省本省の公務員

(三) 家畜衛試の公務員

(四) 厚生省(食品衛生行政担当)の公務員

四(結論)

第九 被控訴人北九州市の責任

第一〇 損害総論

第一一 損害各論

一重症度と慰謝料算定について

二症状鑑定について

三症状格付け及び慰謝料額について

四一審原告らの個別損害について

五弁護士費用

第一二 結論

別  紙

(一) 一審原告ら目録〈省略〉

(二) 一審原告ら訴訟代理人目録〈省略〉

(三) 請求債権額一覧表

(四) 死亡油症患者一覧表〈省略〉

(五) 真正に成立を認めた証拠目録〈省略〉

(六) 油症患者被害認定一覧表〈省略〉

(七) 認容金額一覧表

昭和五七年(ネ)第二一五号事件控訴人

同年(ネ)第一七四号事件被控訴人(一審原告ら)

第一次

横地秀夫

外一六八名

第二次

川原判

外一二四名

第三次

大脇義行

外一一名

第四次

谷合正則

他四五名

第五次

轟木環

外一〇名

右一審原告ら訴訟代理人弁護士

内田茂雄

外九名

右一審原告ら(長谷部ふじを除く)訴訟代理人弁護士

松本洋一

外四〇二名

内田茂雄訴訟復代理人弁護士

高田新太郎

被控訴人

カネミ倉庫株式会社

右代表者代表取締役

加藤三之輔

被控訴人

加藤三之輔

右両名訴訟代理人弁護士

尾山正義

有村武久

清原雅彦

山崎辰雄

昭和五七年(ネ)第一七四号事件控訴人

同年(ネ)第二一五号事件被控訴人(一審被告)

鐘淵化学工業株式会社

右代表者代表取締役

高田敞

右訴訟代理人弁護士

白石健三

谷本二郎

松浦武

塚本宏明

西村寿男

丹羽教裕

藤巻次雄

石川正

右塚本宏明訴訟復代理人弁護士

国谷史朗

被控訴人

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右指定代理人

鹿内清三

外一〇名

被控訴人

北九州市

右代表者市長

谷伍平

右訴訟代理人弁護士

松永初平

吉原英之

右指定代理人

伊藤幸夫

外八名

右国、北九州市両名指定代理人

森脇勝

外三名

主文

一  被控訴人カネミ倉庫株式会社、同加藤三之輔に対する

1  一審原告高山佳子、同田中妙子、同野上正義、同久保千代香、同稗田清人、同松田良二、同伊藤常藏、同杉岡守男、同掘川八枝子、同山本富美枝、同掘川晃一、同掘川悟志、同山田博史、同川原伴、同温井保生、同中島秀雄、同中島倭子、同白砂作一の控訴及び同稗田萬吾、同吉井綾子、同松原勤の各固有分請求に関する控訴に基づき、原判決中右関係部分を次のとおり変更する。

(一)  右被控訴人らは右一審原告らに対し、各自別紙(七)認容金額一覧表中の「認容金額」欄記載の各金員(一審原告稗田萬吾、同吉井綾子、同松原勤については各固有分のみ。)及びこれに対する昭和四三年一一月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  右一審原告らのその余の請求を棄却する。

2  右一審原告らを除くその余の一審原告らの控訴及び一審原告稗田萬吾、同吉井綾子、同松原勤の各相続分請求に関する控訴に基づき、原判決中右一審原告ら敗訴部分のみを次のとおり変更する。

(一)  右被控訴人らは右一審原告らに対し、更に各自別紙(七)認容金額一覧表中の「認容金額」欄記載の各金員(一審原告稗田萬吾、同吉井綾子、同松原勤については各相続分のみ。)に対する昭和四三年一一月一日から昭和五六年四月一二日までの年五分の割合による金員を付加して支払え。

(二)  右一審原告らのその余の請求を棄却する。

3  別紙(三)請求債権額一覧表

「一審原告氏名」欄記載の一審原告ら(以下拡張一審原告らという。)の当審における拡張請求を棄却する。

二  一審被告鐘淵化学工業株式会社の控訴に基づき原判決中同被告敗訴部分を取消し、一審原告らの同被告に対する請求を棄却する。

三  一審被告鐘淵化学工業株式会社、被控訴人国、同北九州市に対する一審原告らの控訴及び拡張一審原告らの当審における拡張請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、一審原告らと被控訴人カネミ倉庫株式会社、同加藤三之輔との間に生じた分は、第一、二審を通じこれを二分し、その一を一審原告らの、その余を右被控訴人らの負担とし、一審原告らと一審被告鐘淵化学工業株式会社との間に生じた分は全部一審原告らの負担とし、一審原告らと被控訴人国、同北九州市との間に生じた控訴費用は一審原告らの負担とする。

五  この判決第一項1(一)及び2(一)は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一一審原告ら

1  控訴の趣旨

原判決を次のとおり変更する。

(一) 一審被告鐘化及び被控訴人らは、各自右一審原告らのうち本判決別紙(三)請求債権額一覧表「一審原告氏名」欄記載の一審原告らに対し、同一覧表「合計額」欄記載の金員(右一審原告らは当審において請求を拡張した。)及びその余の一審原告らに対し、原判決別紙(三)請求債権額一覧表「合計額」欄記載の金員並びにこれに対する昭和四三年一一月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は第一、二審とも右一審被告及び被控訴人らの負担とする。

との判決並びに(一)項について仮執行宣言の申立

2  一審被告鐘化の控訴について

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は一審被告鐘化の負担とする。

との判決

二一審被告鐘化

1  控訴の趣旨

(一) 原判決中一審被告鐘化敗訴部分を取消す。

(二) 一審原告らの請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。

との判決

2  一審原告らの控訴及び拡張請求について

(一) 本件控訴及び拡張請求をいずれも棄却する。

(二) 控訴費用は一審原告らの負担とする。

との判決

三被控訴人ら

1  本件控訴及び拡張請求をいずれも棄却する。

2  控訴費用は一審原告らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張〈省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

(当事者双方から提出された書証のうち成立に争いのある書証については、別紙(五)「真正に成立を認めた証拠目録」中の真正に成立を認めた証拠欄記載の各証拠によつてそれぞれその成立を認める。以下書証を引用する場合は、単に書証番号のみを掲記することとする。)

第一  当事者

当事者については、原判決理由説示(原判決a88頁六行目からa89頁一四行目まで、原判決別紙(七)を含む。)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a88頁七行目の「別紙(七)油症患者認定一覧表(一)記載の原告ら及び同表」を「一審原告らのうち原判決別紙(七)油症患者認定一覧表(一)記載の一審原告ら(そのうち本判決別紙(四)死亡油症患者一覧表「油症患者氏名」欄記載の油症患者がその後死亡したこと及びその相続関係は後記のとおり。)及び原判決別紙(七)油症患者認定一覧表」と改め、同頁一一行目末尾に「その余の一審原告らが、いずれも右死亡油症患者の相続人であることは後記認定のとおりである。」を加え、同頁一三行目の「米糠精製」を「米糠油精製」と改める。)

第二  本件油症事件の発生及び経過の概要について

油症患者発見の経緯、被控訴人国、同北九州市並びに福岡県の油症調査及び対策、油症研究班の成立とその油症に関する調査活動及び調査結果、ダーク油事件の概況等については、原判決理由説示「第二 本件油症事件の発生及び経過の概要」(原判決a89頁一五行目からa94頁八行目まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a90頁七行目の「一〇月三日」を「一〇月四日」と、同頁八行目の「翌四日」を「同日」と、a91頁一五行目の「生産抜術」を「生産技術」と、同一六行目の「実状」を「実情」と、同一七行目の「原因不明」を「原因究明」と、a94頁一行目の「心臓水」を「心のう水」とそれぞれ改め、a93頁一六行目の「脱臭工程において」の次に「一審被告鐘化から三油興業株式会社を通じて買入れて」を加える。)。

第三  カネクロールについて

カネクロールの概念、塩化ビフェニール(PCB)の化学構造、PCBないしカネクロール四〇〇の一般的性質等、PCBないしカネクロール四〇〇の毒性及びその世界的認識等についての認定判断は、原判決理由説示「第三 カネクロールについて」(原判決a94頁九行目からa99頁九行目まで)と同一であるからこれを引用する(但し、原判決a95頁九行目の「単独化合物としてのPCBは」を「四塩化ビフェニールはどの異性体でも」と改め、同行目の「塩素置換数」の前に「PCBは」を加え、a96頁二行目の「不然物質」を「不燃物質」と、a96頁六行目全部を「因みに、通商産業省の調査によると、我が国における昭和二九年から同四七年までの間に生産されたPCBの用途別使用量は次のとおりである。」と、a97頁四行目の「丁第五八号証の一」を「丁第五八号証の一ないし三」と、同頁七行目の「ラッド」を「ラット」と、同頁一八行目の「長期微量の経口摂取による人体被害」を「経口摂取による人体被害(毒性学的には急性ないし亜急性中毒)」と、同行目の「第一一」を「第一〇」と、a98頁三行目の「請求原因3(二)」を「請求原因3(三)」と、同六行目の「一分子」を「一原子」とそれぞれ改める。)

第四  カネクロール四〇〇のライスオイル中への漏出経路及び本件油症事故の原因について

一カネミライスオイルの概念、同製造工程の概要について

カネミライスオイルの概念及びその製造工程の概要については、原判決理由説示(原判決a99頁一一行目からa103頁二行目まで)と同一であるからこれを引用する(但し、原判決a101頁一七行目に「仕入」とあるのを「仕込」と、同行目に「操作」とあるのを「操作」と、同末行に「吹い上げ」とあるのを「吸い上げ」と、a102頁一六行目の「四八基のの」を「四八基の」と、それぞれ改める。)。

二カネクロール四〇〇の漏出経路及び事故原因について

1本訴において一審被告及び被控訴人らの過失責任を論ずるについて、カネクロール四〇〇の漏出経路及び事故原因を確定することが必要と考えられるので、右漏出経路及び事故原因について検討する。そして、本訴においては、カネクロールの食用油中への漏出経路及び事故原因に関してピンホール説と工作ミス説のみが対立主張されていること、その余の事故原因はたやすく想定しがたいことについては、原判決理由説示(原判決a106頁一一行目から末行まで、但し、原判決a106頁一一行目の「漏出経路」の次に「及び事故原因」を加える。)のとおりであるからこれを引用する。

2ピンホール説とその問題点について

(一) ピンホール説の概要

ピンホール説の概要については、原判決理由説示(原判決a103頁三行目からa105頁一八行目まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a103頁四行目の「経路」の次に「及び事故原因」を、八行目の「漏出混入し」の次に「、これに気付かずに汚染油を出荷したために本件事故が発生し」を、一三行目の「手紙」の次に「及び脱色脱臭係員小山松寿の公正証書等」を、同a104頁三行目の「鑑定」の次に「(以下、九大鑑定という。)」をそれぞれ加え、同a104頁一六行目の「径一mm」とあるのを「径〇・一mm」と、同一七行目の「三四〇二」とあるのを「三四〇個」と、同行目の「二六二」とあるのを「二六個」とそれぞれ改める。

(二) ピンホール説の問題点

しかしながら、ピンホール説は、客観的なピンホールの存在という事実を前提としているものの、次に述べるような種々の疑問点が存し、工作ミス説との対比において採用しえないというべきである。

(1) 九大鑑定の経緯について

前記のとおりピンホール説を支える重要な証拠は九大鑑定であるが、〈証拠〉によれば、昭和四三年一一月六日北九州市長から、当時の九大工学部教授篠原久、同助教授宗像健、九大農学部助教授国府田佳弘、同三分一政男(原因調査班)に対し、カネミライスオイルへのカネクロール混入経路の調査の委嘱があり、右調査班は、カネクロールの混入経路について一応カネクロール蛇管の腐食孔からの漏れ、流通時における混入、操作ミス、脱臭缶修理時のミス等を想定した上、意見を交換した結果、通常流通時の混入や操作・修理ミスは考えられないという理由で、カネクロール蛇管腐食孔からの漏れの可能性が大きいと判断し、この想定に基づいて調査を始めたこと、調査班が関係者から事情聴取をしたところ、六号脱臭缶の外筒が昭和四二年末に腐食して取り替えられたことがわかり、調査班は同脱臭缶のカネクロール蛇管も腐食されている可能性があると判断し、先ず同缶を調査することとしたこと、昭和四三年一一月一六日同缶を調査したところ、カネクロール蛇管に空気漏れの孔を発見したので、調査班は調査を打ち切り、その旨北九州市長に報告したこと、その後である昭和四三年一二月以降に九大鑑定の鑑定人らは小倉警察署から鑑定の嘱託を受けたこと、その嘱託事項も、「六基の脱臭缶内へのカネクロールの漏出の有無、あるとすれば漏出の箇所及びその量、六基の脱臭缶内カネクロール循環ステンレスパイプに生じたピンホールの成因について、六号脱臭缶ステンレスパイプに生じた腐食孔の充填物が開孔あるいは閉塞する可能性」等であつて、当初より右鑑定がカネクロールのピンホール(特に六号脱臭缶蛇管)よりの漏出の可能性を中心とした鑑定であつたことはその鑑定書(甲第二九号証の一)自体の記載から明らかであり、鑑定は右の趣旨に従つて実施され、他の原因の存否については嘱託された鑑定の範囲外のこととして具体的に調査されていないこと、従つてまた、一号脱臭缶蛇管についてピンホール以外の修理痕が存在するかどうかにまで特に気を配つた調査はされていないことが認められる。してみれば九大鑑定は、右の経緯からみて、当然には漏出経路に関する他の可能性(ことに工作ミスによる穿孔からの漏出の可能性)を排斥するものでないことが窺われる。

(2) 九大鑑定の内容について

同鑑定の結論の理由中ピンホール説を積極的に裏付けるものは、(イ)ピンホールの存在、(ロ)開孔の可能性、(ハ)塞がる可能性の三点であるので、まずこれらの点について検討する。

(イ) (ピンホールの存在について)

六号脱臭缶のカネクロール蛇管に最大二mm×七mm程度にも及ぶ貫通孔のほか径一mm内外の貫通孔数個が確認されたとする点については、同理由自体鑑定検査時において孔中に異物が充填されていたことを認めているのみならず、後記のとおり漏出事故発生時において孔が開いていたか否かを各種実験、検査の結果から断定することは非常に困難であるとするのであるから、孔の存在の事実以上にピンホール説を積極的に支持する理由とも認め難いのである。

(ロ) (開孔の可能性について)

次に開孔の可能性は決して少なくないとする点が、厳密な実験による裏付けのない推論ないし仮定の前提事実に基づく推論にすぎないことは甲第二九号証の一自体の記載から明らかである。特に同号証第五章第2節(1)開く可能性の項目記載(九四頁以下)によれば、各種実験と金属学的検査及び孔充填物の分析結果からの総合判断では、漏出事故発生当時孔が開いていたかどうかを断定することは非常に困難であるとしながら、旧二号缶の改造工事の際の衝撃、空気圧試験における空気圧の作用等を根拠として開孔可能性があるとしている。しかし、かかる根拠だけでは抽象的に開孔可能性があるということはできてもピンホール説を裏付けるに足る程度の具体的なかつ確実な可能性があるとするには充分でないといわざるをえない。

(ハ) (塞がる可能性について)

また、運転後短時日の間に漏出孔が閉塞する可能性もあるとする点は、なんらかの理由で開孔したピンホールが条件次第では短時日の間に自然に閉塞する可能性があるとするものであるが、その実験は現実の操業条件と同一か、なるべく近似した条件で行われなければならないところ、実験は現実の操業より閉塞しやすい条件で行われた疑いがあり、この点右実験結果を閉塞可能性に直ちには結び付け難いものがある。すなわち、甲第二九号証の一によれば、実験は直径二mmの孔径、圧力差は調合カネクロールの液深一二cm相当分で行われたことが認められ、右認定の開孔の断面積は三・一四mm2(1mm×1mm×3.14=3.14mm2)、圧力はカネクロールの比重を一・二八として水柱に換算すると一五・三六cmとなるのに対し、同号証によれば、現実に操業中の開孔径は二mm×七mm、運転中の圧力差は一・三kg/cm(九大鑑定における仮定)であることが認められ、右認定の開孔の断面積は一三・一四mm2()、圧力差は水柱に換算して一、三〇〇cmとなるのであるから、現実の操業条件は実験と比較して、孔の断面積において約四・二倍、圧力差で約八〇倍となり、極めて閉塞しにくい条件であるということができるのであつて、この意味においてピンホールの閉塞可能性に関する九大鑑定の実験方法には疑問がある。また、前示のとおり、同鑑定はピンホール閉塞の可能性が増大する条件として、孔充填物に多数の亀裂が入つていたとか充填物が多孔質化していることを挙げるが、右はいずれも検証を伴わない全く仮定の条件であつて、これらに基づき閉塞可能性が増大するとする推論は現実的な前提を欠くものといわなければならない。

次に右以外の九大鑑定の鑑定理由についてみるに、六号脱臭缶が試運転された昭和四三年一月三一日以降の脱臭油が製品とされた日が汚染油が製品詰めされた同年二月五日以降と一致するとの点、及び患者使用油中のカネクロール含有量から逆算されるカネクロール漏出量は、六号脱臭缶のピンホールの大きさから説明しうる量であるとする点は、いずれも何ら工作ミス説と矛盾するものではない。のみならず、患者使用油が含有する塩化ビフェニールと、被控訴人カネミのカネクロールを混入して脱臭操作を行なつた油中の塩化ビフェニールとについて、ガスクロマトグラフによる分析の結果、明らかに成分組成が一致したとする点は、右分析対比に当つては、患者使用油と同一又はなるべく近似した脱臭操作より作出された油を分析して対比すべきが至当であり、そのためにはピンホールからの連続的混入の方法をとるべきであるにもかかわらず、甲第二九号証の一によれば脱臭実験前に一括して一〇kgの新しいカネクロールを脱色油に混入させて行なつていることが認められるのであつて、このような事前混入による脱臭操作を経た油中の塩化ビフェニールの成分組成はピンホール説の事故油のそれよりもむしろ工作ミス説の事故油のそれに近いものというべきである。しかして、同鑑定における分析の結果は、患者事故油の塩化ビフェニールの成分組成と事前混入の脱臭油のそれとが一致したというのであるから、そのことは、漏出経路をピンホールからと考えるよりむしろ工作ミスによる穿孔からの一挙混入と考えることの正当性を示唆するものとみられないではない。

以上を総括すれば、右九大鑑定の内容は、実質的には、発見された六号脱臭缶蛇管のピンホールは、前提条件の取り方次第で油症事故の原因となるだけの量のカネクロールの漏出を説明し得ないものではない、ということを根拠として、他に漏出経路が考えられないかぎり、その漏出経路は右ピンホールからである可能性が極めて大きい、としたにとどまるものというべきである。

そうすると、前示九大鑑定は、その内容自体からも、カネクロールの漏出経路は六号脱臭缶蛇管のピンホールからでそれ以外にはあり得ない旨、を無条件且つ積極的に断じたものと受けとるべきではないことに帰着する。

(3) 被控訴人カネミの従業員の認識可能性について

右の点については、次のとおり訂正付加するほか、原判決理由説示「(三)(被告カネミの従業員の認識可能性)」(原判決a107頁一三行目からa112頁一二行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

(イ) 原判決a108頁五、六行目の( )書き全部を削り、同頁一三行目の「ドラム」を「バッチ」と改める。

(ロ) 同a108頁一六行目の証拠に「丙第一二五、第一二六、第二五九号証、第七五七号証の一ないし三、原審証人緒方毅の証言及び弁論の全趣旨」を加え、同頁一八、一九行目の「右二月の補給は実際には二月一日になされた」を「実際には一月一五日ころに一五〇kg、一月三一日に一〇〇kg、二月上旬に二五〇kgが補給された(しかも、カネミは一月三一日には、かねて注文していたとはいえ納入業者に他社から借り受けさせて三〇〇kgを緊急納入させている。)」と改める。

(ハ) 同a109頁一二行目の「しかしながら」からa110頁三行目まで全部を「しかしながら甲第七五七号証の一ないし三によれば加熱炉一基運転開始のための必要量は八〇kg、五、六号脱臭缶稼働開始のための必要量は各四〇kg、一、二月中の自然ロス分は合計六〇kgと認められるから、この点の右森本の供述は措信できないところである。そうすると結局昭和四三年一月中旬より二月上旬にかけてのカネクロールの補給中、説明できない部分は右補給量合計五〇〇kgから右必要量合計二二〇kgを差し引いた二八〇kgということになる。以上により本件事故の際のカネクロールの総漏出量は二八〇kgと推測し得るものである。」とa110頁四行目の「三五〇」を「二八〇」とそれぞれ改める。

(ニ) 同a110頁一一行目の証拠に「丙第二一八、第二一九号証」を加え、同頁一二行目の「毎日」の次に「いわゆる抜取検査及び平均試料検査を行つており、抜取検査は通常、二交替制の脱臭係員の交替時に運転を引継いで各脱臭缶毎に最初にできた脱臭油について原則として酸価のみを検査し、平均試料検査は、一日を昼、夜前半、夜後半に区分し、区分された各時間帯において」を加え、a111頁終りから二行目からa112頁二行目の( )書き全部を削る。

(ホ) 同a112頁一二行目の末尾に「のみならず、本件カネクロールの混入事故は脱臭工程において生じたものであるから、当時その工程に異変がなかつたかどうかは、第一次的に脱臭係の作業記録について検討さるべき筈のところ、そのような作業記録については、丙第二八一号証、第三二一号証の一により、事故の発覚当初北九州市長の委嘱により事故原因調査のためのカネミ工場に臨場した九大工学部篠原教授は、その呈示を得て閲覧し、事故当時と考えられる時期の記録に真空系統の異常の記載のあるのを見た事実のあることが認められるのに、それが刑事事件の押収物の中に存在せず、刑事事件の記録中に過去それが存在したことを示す資料もないことが弁論の全趣旨によつて窺われるから、それは篠原教授に呈示したのち刑事事件の捜査に先立つてカネミ側によつて処分された疑が強い。しかも、前記各帳簿(操業記録)改ざんの内容と態様とを精査し、かつ右同証拠に、丙第四八ないし第五〇、第五四号証、第二六一号証の一、二及び弁論の全趣旨を総合して考えると、被控訴人カネミの脱臭工程は、昭和四三年一月二七日以前においては一号缶から五号缶をもつて操業されていたこと、一月二八日(日曜日)から同月三一日までの四日間は一号缶から六号缶まですべて運転が停止されていたこと(但し、同月三一日に六号缶の試運転がなされたことは前示のとおり。)及び二月一日から二月二八日までは二号ないし六号缶が運転され、一号缶のみ運転が停止されていた事実が窺われるのであつて、右は一月二九日から同月三一日までの間において、被控訴人カネミにとつて、脱臭缶の運転を停止せざるをえない不測の事故が発生したこと、同被控訴人において右期間中の帳簿を改ざんする等事故隠蔽の対策に腐心したこと、しかして右事故の内容は一号缶に関するものであることを疑わしめるものである。」を加える。

(4) ダーク油中のPCBパターン(カネクロール組成)との関係について

右の点については、次のとおり付加、訂正するほか、原判決理由説示「(四)(ダーク油中のPCBパターンとの関係)」(原判決a112頁一三行目からa113頁一一行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

(イ) 原判決a113頁一行目の証拠に「丁第四五号証の一、二及び弁論の全趣旨」を、同頁五行目の証拠に「丙第二三〇号証」をそれぞれ加える。

(ロ) 同a112頁一五行目及びa113頁五行目の各「飛沫油、あわ油」、a113頁九行目の「飛沫油及びあわ油」をいずれも「飛沫油、セパレーター油、あわ油」と、同頁四行目の「カネクロール四〇〇の成分」を「カネクロール四〇〇の組成」と、同頁五、六、九行目の各「成分」をいずれも「組成」と、同頁六行目の「かなり一致しているが、幾分低沸点部分が多い」を「類似のガスクロマトパターンを示す」とそれぞれ改める。

(ハ) 同a113頁一一行目の「疑問の残るところといわざるを得ない。」を「不可解といわざるを得ない。ダーク油中のカネクロールが高沸点成分のやや多いパターンを示しているということは、汚染ダーク油のカネクロールが飛沫油、セパレーター油、あわ油など普通のカネクロールと類似の組成か低沸点成分を多く含む副成物だけに由来するのではなく、高沸点成分の多いカネクロールを含む脱臭油(但し含有カネクロールの絶対量は加えられた脱臭操作の程度によつて若干ないし著しく減少している。)が組成比を逆転させるだけの量投入された結果であると考えればその説明は容易であるが、カネクロールの混入を知つて再脱臭によるその除去をはかる過程で充分除去できなかつた分をダーク油に投入したというのであれば格別、カネクロールの混入には気付かぬまま単に脱臭の仕上りが悪いというだけでこれを再脱臭にかけずにダーク油に投入したというようなことは、丙第二七五号証(神林純一証人調書)をも考え合わせて、およそ想像しがたいところといわなければならない。

なお、漏出混入したカネクロール総量のうち、脱臭操作により蒸散したもののかなりの部分が、飛沫油、セパレーター油、あわ油として補捉されるに至らず、真空装置の末端のホットウェルから排水又は大気中に逸出したこと、及び逸出した右ロスト分のカネクロールの組成は低沸点成分を主体とするものであること、を前提とすれば、理窟上は、飛沫油、セパレーター油、あわ油を合わせた脱臭副成物中のカネクロールが、それ自体高沸点成分の多い組成となる可能性もないとはいえない。しかしそのように考えるとしても〈証拠〉によると、ダーク油中のカネクロール総量は一六〇キロをこえるものと推定されていることが明らかであるから、脱臭油中のカネクロール及びダーク油に投入された副成物総体中のカネクロールがいずれも高沸点成分の組成になるためには、これに匹敵する量の低沸点成分のロストがあつたことを想定しなければならず、漏出カネクロールの総量が漏れに気付かぬ程度の量であつたとすることとは相容れがたいばかりでなく、実験によつて明らかにされた前示飛沫油及びあわ油のカネクロール組成との関係も説明困難といわざるを得ない。

また前掲九大第二次鑑定における脱臭実験の際経験された水蒸気吹込み時の凝縮水による突沸現象と同じことが事故当時実際の脱臭工程でも生起し、実験の際と同じ位の量の脱色油が突沸により飛沫油中に混入した、ということを想定してみても、その際ピンホールから漏れていたカネクロールの量が漏れに気付くほどの量でなかつたことを前提とするかぎり、その飛沫油をダーク油に投入したことをもつてダーク油中のカネクロール組成の逆転を説明することは困難である。」と改める。

(5) 三号脱臭缶、四号脱臭缶内釜外壁の塩化ビフェニールの付着について

甲第二九号証の一(九大鑑定)、〈証拠〉によれば、九大鑑定に明らかなとおり、三号脱臭缶と四号脱臭缶については、他の脱臭缶と異なり、カネクロール蛇管にピンホールの存在は認められないにもかかわらず、脱臭缶内釜の外壁には塩化ビフェニールの付着が確認されていることが認められるが、右の点は、汚染油をそれとは気が付かずに抜取試験結果が悪い等の理由で同号缶を用いて再脱臭したというような希な場合を除いてピンホール説からでは説明しにくい事象であり、かえつて、三号、四号脱臭缶を使つて汚染油をそれと知りながら再脱臭したとする工作ミス説の方からが理解し易い事象である。

3工作ミス説とその問題点について

(一) 工作ミス説の概要

工作ミス説の概要については、原判決理由説示(原判決a105頁末行からa106頁一〇行目まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a106頁三行目冒頭の「る」を削り、七行目の「汚染油を」を「再脱臭油を点検することなく」と改める。)。

(二) 工作ミス説の問題点

前記工作ミス説については、それを裏付ける直接的な証拠として、丙第二七三号証(弁護士松浦武と樋口広次の対談記録の公正証書)、丙第二七四号証中の樋口広次から加藤八千代に宛てた手紙二通及び丙第六四九号証(小山松寿の公正証書)等があり、間接的な証拠として、丙第二二七号証、丙第二五五号証(加藤八千代の公正証書)中の山内松平から加藤八千代に宛てた手紙二通、加藤五平太から加藤八千代に宛てた手紙、丙第二五六号証(弁護士松浦武の陳述書)、丙第二五七号証(弁護士川尻治雄の報告書)、丙第二七一号証(伊藤寿志の公正証書)、丙第二七五号証(神林純一の証人調書)、丙第二八二号証(稲神馨の「製造物責任の問題点を考える」と題する講演要旨)、丙第二八三号証(神力達夫の「ピンホール説は正しいか」と題する論文)、丙第六四五号証(岩田文男の証人調書)、丙第六四六号証(神力達夫の証人調書)、丙第六五五号証(一号缶検証調書)、丙第六六〇号証(菊田米男の証人調書)、丙第六五九号証(一号缶鑑定書)、原審証人緒方毅、同松浦武、同川尻治雄の各証言等がある。しかして前者は、いずれも本件事件当時被控訴人カネミの脱臭係長であつた樋口広次又は脱色、脱臭係員であつた小山松寿において本件油症事件の真相を明らかにするということで供述し、書面を作成したものであることが認められるし、後者は工作ミス説が真相であることを伝聞した経緯を述べたり、科学的工学的見地からピンホール説へ疑問を提起するか工作ミス説が正しい所以を示唆して前者の証拠を補強するものであることが認められる。

しかしながら、工作ミス説にも次のような多くの問題点が存する。

(1) まず前記直接的な証拠についていえば、

(イ) 丙第二七三号証の対談記録は、長時間にわたる対談の中で樋口は松浦弁護士の積極的な誘導に対し、曖昧かつ消極的な応答に終始しており、同号証だけでは独立して工作ミス説を立証するに足らず、工作ミス説を充分に理解するためには丙第二七四号証中の樋口の手紙や松浦弁護士の証言を参酌しなければならないうえ、丙第二七三号証の対談後福岡高等裁判所で行われた樋口広次の証人調書である丙第二七九号証と弁論の全趣旨によれば、樋口は右証人尋問に当り、工作ミスに関連する事項についての質問に対しては、終始沈黙して何一つ答えていない。また本件油症事件発覚後の捜査段階でも、樋口は被疑者の一人として長期間取調べを受けたにもかかわらず工作ミス説を示唆するなんらの供述もしていないことが弁論の全趣旨によつて明らかである。これらの点からすれば、油症事件発生後一二年余の昭和五五年に至つて工作ミス説を供述するようになつた理由が今一つ不明確である。これに加えて松浦弁護士の証言によれば丙第二七三号証は松浦弁護士において樋口の承諾なく秘密裡にテープを採取し記録したものであることが認められ、その信憑性に問題がないではない。

(ロ) 丙第二七四号証中の樋口広次から加藤八千代に宛てた手紙二通のうち、昭和五五年九月一一日付手紙中工作ミス説に関する部分は理路整然と、しかもかなり難しい漢字を使用して詳述しており、樋口本人の記憶に基づくか否かの疑問がある。

(ハ) 丙第六四九号証は事故発生当時の脱色、脱臭係員であつた小山松寿の昭和五七年六月八日付陳述の公正証書であるが、該陳述書は、自ら認めているとおり一審被告鐘化の佐藤某、塚本弁護士の協力を得て作成されたものであり、その限りにおいての信憑力しか持ちえないのではないかとの疑問がある。

(2) 工作ミス説が工作ミスを指摘する一号脱臭缶については、九大鑑定の際、鑑定人らが六号脱臭缶に次いで一号脱臭缶を検討したにもかかわらず一号脱臭缶の熔接痕が発見されたことは本件全証拠によるも認められないのであつて、この点客観的証拠に乏しいという批判は免れない。

(3) また、丙第二二六、第二三四号証の被控訴人カネミの鉄工係日誌中に昭和四三年一月二九日隔測温度計保護管先端の孔の拡張工事についてなんら記載がないことも工作ミス説にとつて証拠上の難点といわざるをえない。

4工作ミス説の発端

工作ミス説は、丙第二七四号証によれば、昭和五四年一〇月一審被告鐘化により福岡カネミ油症民事事件の控訴審において初めて主張されたことが認められ、本訴においては、昭和五四年一〇月二九日の原審第一五回口頭弁論期日においてその概要が主張されている。

ところで〈証拠〉によれば、工作ミス説の発端に関し次の事実が認められる。

(一)(1) 加藤八千代(被控訴人加藤三之輔の実姉で科学者でもある、以下八千代という。)は、本件油症事件発生直後に、実兄山内松平(日本精米製油株式会社社長、以下松平という。)に電話をした際、松平の第一声が「原因は判つとる。三平(右三之輔の改名前の名)は知つている。」であつたこと、松平から昭和四四年五、六月ころ受取つた「此の度の事件は三平が自分の誤つた指図を糊塗せんとしたが為に起きたものである。二月上旬脱臭中に循環せるカネクロールがなくなり、カネクロールがパイプから洩れ、それを補修した事実は三月二一日岡田君が豊野に森本工場長と同行した際に鶏の死ぬのは当然だという話に照らしても明白である。」と記載のある手紙及び同人の同年七月四日消印の「ダーク油の件、本年五月二二日上京中の三平が岡田に念を押して確かめ、事実だと私に報告した。」と記載のある手紙、実弟加藤五平太(日本精米製油株式会社常務取締役)の昭和五三年五月一七日付の「鶏が大量に死んだ頃ですが、森本氏が上京し、日精の応接室で岡田氏と話をしていた時、同席していて、森本氏が、一時的に大量のカネクロール(約三〇〇立位)がどこへ行つたか無くなつたとの話をして、岡田氏は、脱臭缶内部のカネクロールパイプに穴が開いたかどうかして油の中に入つたのではないか、そして脱臭中に飛沫油の方へ混入したのではないかといつた話であつたと思います。」「脱臭装置の改良を行つた訳ですが、その時に工作ミスといいますか手抜きとでもいうのでしようか、水圧テストもやらずに組立ててしまい、溶接箇所から洩れて油に混入してしまい、又すぐに修理をしてしまつたもので、現場の連中は百も承知の事柄であるが、同僚を庇つて誰も黙つているだけです。その間の作業日誌も隠してしまつた訳です。何度も小倉へ行つている間にうつかり彼等の口が滑つて判るのですが、先日も当時の話をしていた時、事故の油は一時別に取つてあつたが、何時のまにやら元に戻されて無くなつていたとの事で、結局カネミの社風というか、体質に問題があるという事だと思います。」と記載のある手紙や、カネミの三之輔社長や森本工場長に直接問質した結果及び森本工場長からの手紙並びに友人、知人から手に入れた情報や資料をもとに、油症事故の原因として、カネクロールが脱臭缶の蛇管のピンホールから漏れたとすること等に疑問を感じた旨を雑誌「油脂」の昭和五四年一〇月号誌上(原稿受付は同年七月三一日)に「私が抱いた数々の疑問」という題で論文を発表し、

(2) 更に、八千代は、その後当時のカネミの脱臭係長樋口広次から、昭和五五年七月一二日消印の「鐘化の方にも再三おことわりは致しましたが、あまりの熱意に負けてしまいました。色々と聞かれる内に返答に困り、法廷での証言をことわりまして真実を話しました。」「油症事件は始めから終わりまでうそでかためています。」という内容の手紙を受け取つた後、同年八月八日には樋口に直接会つて話しを聞くとともに、樋口から聞いたことを科学者の会でなら公表してもよいとの了解を得、知人から得た資料をもとに、事件の真相について確かめる質問状を樋口に送り、同年九月一一日消印の工作ミス説の事実経過に関する詳しい内容の記載された手紙二通を樋口から受取つたうえで、同年九月二六日学士会館で開催されたロータリー主催の講演会で「科学技術上の問題点からみたカネミ油症事件の原因」と題して熔接工作ミスのためのカネクロールが漏出したという鐘化主張と同旨の事故原因を発表したこと、

(二) 一方、一審被告鐘化の社員及び民事訴訟代理人らは、別件カネミ油症民事事件の一審判決後、主としてカネミを退職した元従業員らに接触し、事故真相について調査を開始し、昭和五四年七、八月には樋口と面会し、断片的ではあるが、ピンホール説とは異なる事実経過を聞き、昭和五五年五月三〇日及び同年六月九日の二回にわたつて松浦弁護士が樋口と面談し、ほぼ一審被告鐘化が主張しているとおりの工作ミス説の詳細な事実関係を聞き出したこと

がそれぞれ認められる。

右の経過をみると、当初は、三之輔社長の身内の間でのピンホール以外に事故の真因があるとする臆測が、加藤八千代の調査により次第に客観性を獲得しつつあつたところに、一審被告鐘化等の働きかけによるものとはいえ、当時のカネミの脱臭係長という事故に極めて近い人物が事故の経過につき端的な告白をするに至り、その関係者の間では全く新しい事件像が形成されたものということができ、その内容には無視できないものがある。

5工作ミス説の相当性について

ところで、本訴においては、カネクロール四〇〇のライスオイル中への混入経路及び事故原因としてピンホール説と工作ミスのみが主張され、その余の主張はなんらなされていないこと等は前述のとおりであるが、右両説には、前示2、3でみたとおり、証拠上それぞれ多くの問題点がある。

しかしながら、右両説の問題点を彼此対比考量すれば、ピンホール説の問題点は証拠上ピンホール説を首肯し難い重大な難点を有するのに対し、工作ミス説の問題点は証拠上工作ミス説を首肯し難い程の決定的な難点を有するとは認め難い。

すなわち工作ミス説の問題点を検討するに、まず前示3の(二)の(1)の(イ)については、確かに丙第二七三号証の対談記録にはその信憑性に疑念を挟む余地があることは否定できないのであるが、樋口の重い口にもかかわらず、その言わんとするところは一号脱臭缶のカネクロール蛇管に工作ミスが発生した事実、そのためカネクロールが食用油中に漏出した事実、汚染油を再脱臭して出荷した事実及び事情を知る被控訴人カネミ関係者が工作ミスを極力秘匿している事実以外の何ものでもないことが明らかに看取できるのであつて、右の疑念の存在の故に工作ミス説立証の証拠価値を失うものではない。法廷における沈黙や事件発生一二年後の告白の理由についても、松浦弁護士の証言及び弁論の全趣旨からすると、樋口はカネミの元従業員として工作ミスの事実の告白をカネミへの裏切りと強く感じていたこと、すなわち、当時なお刑事事件において、元工場長の森本義人は、漏入経路を六号脱臭缶蛇管のピンホールからとしそのことについての過失責任を肯定した一審判決に対し、その過失をすら争つて控訴していたもので、樋口は右刑事事件の捜査、公判を通じ、他の脱臭係関係者らとともに口を揃えてカネクロールの混入には全く気付かなかつたように供述・証言することによつて、訴追された森本及び加藤三之輔社長(右被控訴人加藤については当時すでに一審で無罪が確定していた。)を援護するとともに、自身は訴追を免れて来た関係にあり、右告白は、すでにピンホール説に依拠して事件が収束される方向に進みかけていた当時の状況下では、刑事事件における森本の立場や、本件を含む民事訴訟における被控訴人カネミ倉庫、同加藤三之輔の立場に重大な影響を及ぼしかねない行為であつたこと、それにもかかわらず樋口は、鐘化の側から強く接触を求められ且つぬきさしならぬ操業記録の記載等の根拠をもつて問い詰められ、遂に事件の輪廓だけは洩らさずにいられなかつたこと、樋口はその間の苦衷にたえかね、社長の実姉である加藤八千代にその心境をうつたえてとるべき態度を相談したこと、その結果、同人から励ましを受け、その質問に答えて同人宛に事実の経過を陳述する内容の前掲手紙を書き送るに至つたものであること、が窺われるのであつて、この間の樋口の態度はそれなりに理解できないものではない(その手紙の内容が、事故判明の際偶々自身は夜勤明けで現場に居合わせていなかつたのを幸いに、その後の措置の方針決定については脱臭係長として当然参画している筈と思われるのにそのようなことはなかつたとして、その建前のもとに単なる一介の脱臭作業員として再脱臭作業に従事しただけのような記載になつているのは、従前の自身の供述・証言との間の大きな矛盾やひいて自身の責任にかかわる点についてはなお告白を避けようとする気持が働いたからではないかと考えられる。)。また、前示3の(二)の(1)の(ロ)、(ハ)についても、樋口又は小山が第三者の助力を得たことは窺えるのであるが、さればといつて樋口の手紙及び小山の陳述書が持つ工作ミス説の証拠価値を否定するものとも認め難い。断片的ではあるが、森本の後任工場長伊藤寿志や当時の営繕課長石田久雄及び同課資材係長白石薫も鐘化関係者に対しこれを支持する陳述をし、かつその旨を文書にも作成している(丙第二七一号証(伊藤寿志の公正証書)、丙第二五七号証(川尻治雄の報告書))。

なお、右伊藤寿志の公正証書で同人に工作ミスに関連する話をしたとされている白石薫及び石田久雄は甲第六一三、第六一四号証の公正証書をもつて、伊藤には同人が述べるような話をしていないとし、珠に石田は工作ミス自体存在しなかつたと断言しているが、右は両名が上司である伊藤に対しカネミ勤務中ないし退職直後には一旦真相の一部を述べたものの、法廷において証言する立場には立ちたくないという樋口の気持と同様な心情に出たものと考えられ、右甲第六一三、第六一四号証の記述はにわかに採用しがたい。

前示3の(二)の(2)、(3)については、結局ピンホール説におけるピンホールの存在に匹敵する程度の客観的証拠に乏しいという点に要約されるが、前示のような本件油症事件発覚以来ピンホール説が定着するに至つた経緯の中での立証活動という観点から考えるとき、一面において、誠にやむを得ない難点であるというほかはない。右(2)の一号脱臭缶の熔接痕の未発見の点は、〈証拠〉によれば、前記第四の二の2の(二)の(1)(九大鑑定の経緯について)においても触れた如く、九大鑑定における各号脱臭缶の検討は六号缶を中心として専らカネクロールの漏出可能性のある孔、特に腐食孔の発見を目的として行われ、熔接痕の発見はほとんど念頭になかつたことからすれば、右一号脱臭缶の熔接痕の未発見は工作ミスの事実を否定する決定的な理由とすることはできない。また右(3)の鉄工係日誌不登載の点も、昭和四二年一〇月頃行われた筈の直読温度計を隔測温度計に変更した際の付け替えの工事自体が登載されていないから、その補修工事の記載がないからといつて補修工事が行われたことを否定する理由とするには足りない。

却つて、〈証拠〉によれば、鑑定のため九大鑑定人団がカネミ工場に作業を担当させて取りはずし、その後捜査当局に押収されていた一号脱臭缶のカネクロール蛇管のうち、温度計保護管の先端に最も近く位置していた部分、すなわち工作ミスによる穿孔が生じこれを修理した熔接痕があつたとされる部分が、試料として採取された箇所には該当しないのに現存していないことが認められ、また前掲鉄工係日誌によれば、一号脱臭缶が再び稼働をはじめる直前の昭和四三年二月二二日の分に翌日の作業予定として「脱色缶修理」という記載が存在するところ、その「色」の字は「臭」の字が書き直されたものとみられなくはなく、且つ翌二三日及び二四日分の一葉は後日さしかえられていることが明らかであつて、これらの事実は、前記のような他の操業記録の隠匿改ざんの事実とあわせ考えると、前者はカネミ側が鑑定人から蛇管の切り出し作業を委ねられたのを奇貨として熔接痕のある蛇管部分を切断隠匿したこと、後者は鉄工係日誌のうち蛇管の修理工事の記載を抜本的に抹殺したことの、結果を示すものとみることも充分可能である。

これに反し、ピンホール説の問題点はピンホール説を肯定し難い重大な難点であることは前示2の(二)のとおりで、特にカネミの関係者がカネクロール漏出の事実に全く気付いていなかつたとすることは、二八〇キロに及ぶと考えられる混入量及びその色相の点からも、操業記録の隠匿改ざんの点からも、ダーク油中のカネクロールの組成からも、到低首肯しがたいところといわざるを得ない(もし気付いていたとすれば、当然真空テスト、空気圧テストなどが行われピンホールの開孔の事実が発見されてその修理が行われた筈で、引続き何も処置がとられぬままカネクロールの漏出が放置されていたとか、その間にピンホールが自然閉塞したというようなことは、およそ考えられない。)。従つて、六号脱臭缶のカネクロール蛇管に発見されたピンホールからは、過去において全くカネクロールが漏出することがなかつたかどうかは格別(甲第二九号証の一によると、九大第二次鑑定の際行われた同脱臭缶による脱臭実験では、微量の漏出が確認されている。)、短時日の間に本件油症事故及びダーク油事故の原因となるほどの大量のカネクロールが漏出したことは、たやすく認めることができない。

そして、甲第六二六号証によると、当時の工場長森本義人は、昭和四二年ころ、米油の原料である米糠の農薬汚染問題について日本米油工業会の技術委員会で米糠の農薬は脱臭工程で人体に害がないまで除去できると聞いていたことが認められ(甲第三二三号証によれば、右工業会技術委員会委員長である竹下安比児教授も食油に入つている米の残留農薬は精製工程でなくなつてしまうと述べている。)、一方一審被告鐘化作成のカネクロールカタログ(甲第三三号証)には、カネクロール四〇〇の蒸気圧(飽和蒸気圧のこと、外圧を飽和蒸気圧以上に増すと蒸気は凝縮して液体または固体のみとなり、逆に外圧を飽和蒸気圧以下に減らすと蒸気のみとなる。化学大辞典(共立出版株式会社)による。)として「摂氏二〇〇度で一八・〇mm水銀柱、二五〇度で九〇・〇mm水銀柱」という記載がある。他方弁論の全趣旨によれば、当時の被控訴人カネミの従業員は、工場長森本義人をはじめとして誰一人、カネクロールが人体に有害であることを明確に意識した慎重な取扱いをするということのなかつたこと(尤も前記樋口の手紙の中には、同人がかねて工場側に対してカネクロールは人体に有害だと思われるので然るべく配慮されたいとの意見具申をしたことがある旨の記載があり、また丙第三一七号証によると、当時の係員三田次男もカネクロールが無毒ではないと考えていたことが認められるが、両名ともそれを身体に付着したり、熱せられたカネクロールの発する蒸気を吸うことになるという労働衛生上の問題として考えていたにすぎないことが窺われる。)が認められるのであつて、以上のようなカネミの社内状況や森本の認識、カタログの記載などからすると、被控訴人カネミの工場幹部は、右樋口の手紙にあるように、カネクロールの大量に混入した油も適当に薄めて脱臭操作を加えれば格別問題なしに製品化することができると考えていたものと認められる。

また後段において認定するように、客観的には本件油症事故と原因を共通にする、ダーク油中のカネクロールによる鶏の大量へい死事故が、昭和四三年二、三月にかけて九州を中心とする各地で発生したについて、同年三月二二日福岡肥飼検矢幅課長がカネミ倉庫工場を調査し食油への懸念を表明したのに対し、これに応対した工場幹部が事故原因が自社のダーク油にあることを容易に承認せず且つ食油についての懸念を全く否定しているのも、工場幹部がカネクロールには鶏の大量へい死の原因となるような強い毒性はないと考えていたこと及び後記のように毎週自社の従業員が食油を購入し使用しているのに何ら異常が生じていなかつたことによるものと考えられる。

〈証拠〉によれば、本件油症事件に関し、被控訴人カネミの元工場長森本義人を被告人とする業務上過失傷害事件につき、昭和五三年三月二四日言渡しの福岡地方裁判所小倉支部一審判決及び昭和五七年一月二五日言渡しの福岡高等裁判所控訴審判決が存在し、右各判決ではいずれもカネクロールの漏出経路及び本件事故の原因についてピンホール説を採用していることは明らかである。

そこで、本件油症事故について、その捜査、裁判の経過について検討してみると、〈証拠〉によれば、福岡県警が強制捜査をもつて積極的具体的に捜査を開始したのは、北九州市が被控訴人カネミを告発した昭和四三年一一月二九日以降のことであるところ、前示のとおりこれに先立つて同年一一月一六日には九大調査班が六号脱臭缶蛇管にピンホールを発見していたところから、その後小倉警察署の九大鑑定人に対する鑑定嘱託の趣旨も、前記のとおり主として六号脱臭缶蛇管のピンホールからのカネクロールの漏出可能性等について行われていること、その間の小倉警察署の脱臭缶の検証(昭和四三年一二月五日)及び実況見分(昭和四四年一一月一一日)においても、一号脱臭缶蛇管の熔接修理痕の発見に努めた形跡は認められないこと(前認定のとおりカネミ側が操業記録類を隠匿改ざんし、口を合わせて脱臭工程に異常を経験したことはないと言い張つたことからすれば、むしろ当然といえる。)、その後森本義人は加藤三之輔社長とともに昭和四五年三月二四日起訴されたのであるが、工作ミス説が一審被告鐘化によつて具体的に主張されたのは前示のとおり前記刑事事件の一審判決後にあたる昭和五四年一〇月のことであり、刑事事件の一審控訴審を通じ工作ミス説のいうような事実経過の可能性が審理の対象に取り上げられた形跡は全くないことが認められる。

そうすると、刑事事件においては、捜査・訴追当局はその努力にもかかわらず、六号脱臭缶蛇管のピンホール以外にカネクロール混入の経路があるとすることの手がかりを全くつかめないまま、ピンホールからの漏出に気付かなかつたことについての過失に捜査・訴追の焦点を合わせざるを得ず、従つてその公判手続もその点をめぐる攻防に終始したものとみざるを得ないから、本件事故の発端となつたカネクロールの漏出経路は六号脱臭缶蛇管のピンホールからであるのか、一号脱臭缶蛇管の工作ミスによる穿孔箇所からであるのか、が争われている本件訴訟においては、右刑事事件の判決の存在ないしその判断は格別影響するところがないというべきである。

6以上の理由によつて、当裁判所はカネクロールの漏出経路は樋口広次の手紙のいうように一号脱臭缶蛇管の工作ミスによる穿孔からであり、本件油症事故は、大筋において信憑性を肯定し得る右樋口広次の手紙の記載に従つて一審被告鐘化の主張するとおり、被控訴人カネミにおいては、昭和四三年一月二九日被控訴人カネミの営繕課第一鉄工係の権田由松が隔測温度計の保護管先端部分の孔の拡大工事を行つた際、保護管先端から至近の距離にあるステンレス製カネクロール蛇管をも誤つて熔融させ、これによつて生じた蛇管の孔から翌三〇日の脱臭作業開始時に二八〇キロものカネクロールが食用油中に漏出したのを、被控訴人カネミの従業員は同月三一日に確知し、一旦右カネクロールの混入した約三ドラムの汚染油を回収タンクに回収しながら、再脱臭を加えればたやすく製品化できるものと考えて、翌月二日ころから右汚染油を正常油と混合させながら再脱臭を行い(但し、一部はそのままダーク油に混じた疑がある。)、その後右再脱臭油を点検することなく出荷した結果生じたものであると判断する。

第五  被控訴人カネミの責任

一食品製造業者の一般的責任については、原判決理由説示(原判決a117頁二行目からa118頁一行目まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a117七行目の「食品製造販売する」を削り、同頁一三行目の「施行されている現行の」を「施行されてきた昭和四三年当時の」と、同頁一四、一五行目の「若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの」を「若しくは附着しているもの」とそれぞれ改める。)。

二被控訴人カネミの具体的責任

カネクロールは食品衛生法六条の規定により食品に含有することを許容された化学的合成品にはあたらないから、これを含む食用油の製造販売は許されないものであることが明らかであるばかりでなく〈証拠〉によると、被控訴人カネミが三和油脂からカネクロールを熱媒体として使用する米糠油の精製装置を導入するに際して、当時の工場長森本義人は三和油脂の岩田文男からカネクロールについて説明を聞き、その後甲第三三号証のカタログを入手してこれを閲読していること、同カタログにはカネクロールが芳香族ヂフェニールの塩素化物で若干の毒性を有する旨の記載があること、そのことによつて当時森本がカネクロールは人体に無害なものではないことを了知したこと、が明らかである(尤もカネクロールの毒性についての当時の一般的な認識として比較的毒性の低い安全なものであるとされていたことは後記認定のとおりであつて、前示カタログの記載もこれを反映して必ずしもその毒性を強調するような文脈になつていないことは否定できないけれども、有毒であること自体は右のとおり明記されているばかりでなく、皮膚に付着した場合放置すべきでないこと及び長時間大量のカネクロール蒸気にさらされることは有害であることも警告されているのであつて、その記載自体からカネクロールの経口摂取に問題がないとの判断を導くことは困難というほかはない。〈証拠〉には、右カタログの記載はカネクロールの経口毒性に関する安全の保障と受取るのが当然であるとの趣旨の森本の供述記載があるけれども、そのような考え方は右記載にてらして妄断以外の何ものでもなく、到底採用しがたい。)。

それゆえ、消費者に安全な商品を供給すべき食品製造販売業者である被控訴人カネミとしては、右のように人体に有害で食品に含有させてはならないカネクロールを食用油精製工程に使用する以上、これが製品油に混入することのないようにその製造工程における万全の管理をなし、また、一旦カネクロールの混入を知つた場合においては、直ちにその汚染油を廃棄するか、少なくともカネクロールを完全に除去する手段を講ずべきはもちろん、出荷前には安全性を確認するに足る充分な点検を行う等して、カネクロールの混入した製品油が消費者に供給されることがないよう万全の措置をとり、もつて製品油による人体被害の発生を未然に防止すべき極めて高度の注意義務を負うものというべきである。

ところが被控訴人カネミは従業員の不注意により一号脱臭缶のカネクロール蛇管に漏孔を生じさせその孔から同脱臭缶内の脱色油中に二八〇キロもの大量のカネクロールを混入させたこと、及び森本工場長以下関係従業員は右事態を明確に覚知したものであることは前認定のとおりである。

それゆえ、被控訴人カネミとしては、右汚染油中のカネクロールを完全に分離除去する確実な方法がないかぎり、汚染油全体を廃棄するか工業用に転用するなどして食用油として出荷してはならない注意義務があるのに、再脱臭を加えればたやすく製品化できるものと考え、汚染油に再脱臭操作を加えただけでこれを製品として出荷したこともまた前認定のとおりであるから、この点において同被控訴人が食品製造販売業者としての注意義務に違反したことは明らかというべきである。

従つて、被控訴人カネミは民法七〇九条により、一審原告らが蒙つた後記損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

第六  被控訴人加藤の責任

被控訴人加藤三之輔の責任については、原判決理由説示(原判決a119頁一四行目から同a121頁八行目まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a120頁五、六行目の「知り、又は容易に知りうべかりし状況で右ライスオイルを」「知りながら、正常油と混合しながら再脱臭を行い、右再脱臭油を点検することなく」と改める。)。

第七  一審被告鐘化の責任

一PCBを製造販売したこと自体の責任について

一審原告らが一審被告鐘化の第一の責任として、同被告が人体に有害なPCBを我が国で独占的に製造販売した責任を主張する点についての判断は、原判決理由説示(原判決a121頁一〇行目から末行まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、同頁一四、一五行目全部を「一審被告鐘化のPCBの製造販売と一審原告らの本件損害との間には被控訴人カネミの行為が介在しており、そのことを抜きにして直ちにその間に相当因果関係を肯定することはできない。」と改める。)。

二PCBを食品工業用熱媒体として製造販売した責任について

一審原告らは、一審被告鐘化の第二の責任として、同被告がPCBを食品工業用熱媒体として製造販売した責任をあげる。

1食品製造関連業者の安全確保義務

現今の商品経済社会においては、食品も他の一般商品と同様、大量に生産出荷されて流通に置かれ不特定多数の消費者に購入される関係にあつて、その過程において有毒又は有害な物質が混入するときはその被害が広汎に及ぶおそれがあるから、食品製造販売業者は、そのような事態を避止し食品の安全を確保するため、食品衛生法上種々の規制を受けるばかりでなく、直接の規制外においても高度且つ厳格な注意義務を課せられるべきものである。

すなわち、食品の安全を確保するためには、食品の製造販売業者がその注意義務に忠実であることが何よりも先ず必要であるけれども、その安全を更に徹底させるためには、食品製造業者に対し原料を納入し、設備・装置を施工し、副資材等を供給する業者が、夫々の立場に応じて食品の安全に充分配意する必要のあることもまた言をまたないところである。とりわけ、かかる食品製造関連業者が食品製造業者に対し、操作に複雑な技術を要する装置や、その物の性質が公知でない新製品の副資材などを売込むような場合に、その装置や物の性質・取扱いについて適切な情報を提供することは、これを使用して製造される食品の安全確保のために、食品製造関連業者の義務となり得るものというべきである。

2前提事実

一審被告鐘化がPCBを製造・販売していたこと、被控訴人カネミはこれを三油興業株式会社を通じて購入していたこと、PCBが慢性毒性及び蓄積毒性の強い危険な物質であること、本件油症事件は被控訴人カネミのライスオイル製造工程中一号脱臭缶のカネクロール蛇管に生じた孔からPCBが食用油中に混入し、同被控訴人が右混入の事実を知りながら汚染油に脱臭操作を加えることによつて人の健康に支障を生じない程度にこれを除去し得たと信じて出荷した結果生じたものであることは、いずれも前示のとおりである。

3本件油症事件当時のPCBの毒性認識

本件油症事件当時のPCBについての世界的な評価認識については、原判決理由説示(原判決a124頁三行目からa132頁一行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

4具体的注意義務

(一) 一審被告鐘化の当時の毒性認識

本件油症事件以前の社会一般のPCBに関する評価認識は前示のとおりであり、また〈証拠〉によれば、一審被告鐘化もPCBの毒性に関して、その開発企業化当時、さほど危険な物質とは考えていなかつたことが認められる。

しかしながら、仔細に検討すれば、右のような評価認識は、徹底した信頼するに足りる研究によりPCBが危険性の低い物質であることが積極的に立証された結果に基づくものとは必ずしも認めがたく、現に前掲野村論文は実験の条件が明らかでないこと、経皮毒性に関するものであることを考慮に入れてもなお、PCBには無視し得ない毒性があることを示唆するものと受取ることが不可能ではない。

(二)  合成化学物質製造者の責任

しかも、一審被告鐘化は戦後我が国で初めてPCBの生産を開始した化学企業であり、そもそもPCBのような合成化学物質は本来自然界に存在しないものを人工的に作り出したもので、したがつて自然界に異質なものであることは論をまたないところである。そして、このような新規の合成化学物質については、それを利用する需要者は通常その物質について専門的知識を充分に有するものではなく、又自らその物質の特性を調査研究することも一般的には困難というべきであるから、このような合成化学物質を新規に開発製造する化学企業は、右合成化学物質が人体や環境に及ぼす影響につねに留意し、これを新規の用途に供給するときはもとより、従前の用途に危険の徴候が見出されたときにおいても、その安全性につき充分調査し、安全を確認し得た範囲においてのみこれを供給し、安全を確認し得ない用途にはこれを供給しないという注意義務を負うものというべきである。

尤もそこに確認さるべき安全とは、用法に応じた安全すなわち一定の条件下で使用されることを前提とした相対的安全で足り、食品の安全と同一の意味におけるいわば絶対的安全を意味するものでないことはいうまでもない。従つて、合成化学物質の製造者としては、需要者の側で一定の使用条件を設定確保し適切な物品管理を行うことを期待し得る場合においては、かかる需要者に当該合成化学物質を供給することを妨げられないものというべきである。ただ、その場合には、需要者に対して右物質の毒性を含む諸特性及びこれに応じた取扱方法を周知徹底させ、その使用が一定条件のもとにおいてのみ安全であることを警告すべき注意義務を負担するものといわなければならない。

(三)  カネクロール四〇〇の食品工業用熱媒体としての供給について

そこで先ず一審被告鐘化が食品(食用米糠油)製造販売業者である被控訴人カネミに対し熱媒体としてカネクロール四〇〇を供給したこと自体が、安全性の確認のない用途への供給として、合成化学物質の製造者としての注意義務に違背するものであつたか否かについて検討する。

〈証拠〉によれば、

四塩化ビフェニール(PCB)が熱媒体として使用されるようになつたのは、アメリカにおいては一九四〇年代から、日本においても昭和三〇年代初頭からであつて、本件事故当時まで相当の期間が経過しており、被控訴人カネミ以外にも多くの工場で使用されていて、昭和四三年の本件事故発生までそれが食品に大量混入して人の健康に障害を生ずるに至つたというような事故は皆無であつたこと、

熱媒体としてのカネクロールの用法は、カネミ工場においてもそのようであつたように、加熱したカネクロールを加熱炉及び放熱器を含む閉鎖された一つの循環系内で循環させ、放熱器を通じて目的物に熱を伝えることであるから、その循環系の構造及びその取扱いが装置工学的に適切なものであるかぎり、カネクロールが食品に混入することのない仕組みになつていること、またカネクロール四〇〇は常温では水飴状の粘性に富んだ液体であり、高温状態では粘性は減ずるものの特有の刺激臭があつて、通常他の物質と取り違えられたり混入に気付かれにくかつたりするおそれの少ないものであること、

が認められ、且つ当時においてはカネクロール四〇〇は一般に低毒で金属腐食性のない比較的安全な合成化学物質と考えられていたことは前示のとおりである(現在PCBが慢性毒性、蓄積毒性の強い物質とされているのは、〈証拠〉によると本件油症事故後の研究によるものであることが認められ、また本件油症にあらわれた急性・亜急性の毒性はPCBだけに由来するのではなく、汚染油に脱臭操作が加えられたためカネクロール中に濃縮される結果となつたPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン―カネクロール四〇〇中に不純物として当初から微量存在し、又はPCBのごく一部が高熱での使用のため熱化学的変化により変成したもの)等のPCB関連物質とPCBとが相並んで原因していることも本件油症事故後の研究によりはじめて判明した関係にあることが〈証拠〉によつて明らかで、そのようなカネクロールの複雑な毒性を示唆する知見が当時すでにあらわれていて一審被告鐘化の調査研究の対象とせらるべき状況にあつたと認むべき資料はない。)。

してみれば、当時の状況下においては、被控訴人カネミに対する熱媒体用としてのカネクロール四〇〇の供給は、新規の用途への供給開始にも危険の徴候を示しつつある用途への供給継続にもあたらないものというべきであつて、閉鎖系内を循環させるだけの形で使用するという条件下においては、その管理に特別の困難があると認むべき事情はないから、一応安全を確認し得た用途への供給であるといわざるを得ない。

従つて、一審被告鐘化の被控訴人カネミへのカネクロール四〇〇の供給自体を合成化学物質の製造業者としての注意義務の違背であるということはできない。

(四)  警告義務について

そこで次に右条件下におけるカネクロールの供給に関し、一審被告鐘化に、その特性及び取扱いを周知徹底させその逸脱に対する警告を付すべき注意義務の懈怠があつたかどうかの点について検討する。

被控訴人カネミが参照したものであることが弁論の全趣旨から肯定される一審被告鐘化の熱媒体用のカタログである甲第三三号証には、「取扱の安全」の項に「カネクロールは芳香族ヂフェニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持つていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし下記の点に注意していただく必要があります。(1)皮膚に付着した時は石鹸洗剤で洗つて下さい。もし付着した液がとれ難い時は、鉱油か植物油で洗い、その後石鹸にて洗えば完全におちます。(2)熱いカネクロールに触れ、火傷した時は、普通の火傷の手当で結構です。(3)カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。カネクロールの熱媒装置は普通密閉型で、作業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂いがする時は装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。」と記載されていることが明らかである。

右カタログは、加熱したカネクロールを一つの閉鎖された循環系の中で使用し目的物にその熱を伝える装置を用いて食品等の製造を営む事業体に対して、カネクロールの特性を告げ、使用上注意すべき事項を明らかにする性質のものであるから、その注意事項は右のような使用条件を前提としたものと解すべきである。そうだとすれば、その内容は、第一次的にカネクロールはヂフェニールの塩素化物として若干の毒性を有すること、それが皮膚に付着した場合はよく洗つて取除く必要があること、その蒸気を吸うことは有害であるから匂いがするときは速かに閉鎖系の密閉性を確保するため装置の補修をしなければならないこと、を警告し、第二次的に、それらの危険は、使用方法が密閉された装置内を循環させるだけであるため、その漏出さえなければ実用上ほとんど問題とならないこと、すなわちカネクロールを安全に使用するには装置を適切に管理すれば足り他に格別の困難はないことを付言しているものにほかならないと認むべきである。

そこにはヂフェニールの塩素化物としての「若干の毒性」として経口毒性に代表される人体にとつての有害性が示されているほか、経皮的な毒性や蒸気を吸込むことによる経気的な毒性までが言及されていて、当時のPCBの一般的な毒性認識をほぼ反映する表示がなされていると認められる。ただその文脈が、「若干の毒性」を有するけれども「実用上ほとんど問題」がないという続き方になつているため「実用上問題になるほどの毒性ではない」という誤読を招きやすいといえないことはなく経皮的毒性についての表示も皮膚に付着したまま放置した場合生ずべき障害を示していない点において、軽視を招きやすいことは否定できない(しかし、カネクロールの蒸気の有害性は明示されている。)。その意味において語調が危険性の露骨な警告には必ずしもなつていないとは言えるけれども、その客観的な意味は前示のとおりであつて、通常の食用油製造業者がカネクロールを熱媒体として使用するについて必要最小限の注意事項は、右カタログに記載されているといわざるを得ない。

一方被控訴人カネミは食用油製造業者であつて、食品衛生法四条二・四号、六条の規定により、食品添加物として指定された以外の化学的合成品を含有する食用油はこれを製品とすることも出荷し販売することも許されない(そのことは食品製造業者が零細企業者であるか否かとは関係なしに認められる義務であり、しかも弁論の全趣旨によれば被控訴人カネミは食用油製造業者の中では決して零細な企業ではなかつたことが認められる。)ものであり、そのことは当該化学的合成品が毒性を有すると否とによつて変るところはない。そうであれば、一審被告鐘化が被控訴人カネミにカネクロールを供給するにあたつて告知警告すべき毒性ないし危険は、カネクロールが食用油に混入して経口摂取されるといつた本来あるべからざる事態を予定したものであるよりも、それを熱媒体として取扱う関係従業員の労働衛生面の安全を主眼としたものであるのが当然である。従つて、その点に関するカタログの記載は、ことさら当時の社会一般のカネクロールの毒性認識を歪曲し毒性を秘匿したりその程度を低いものと誤認させるような書き方をすることが許されないことは勿論であるが、その取扱にあたる従業員の労働衛生上の安全を確保するため必要な毒性の告知(それはとりもなおさず経口摂取された場合の危険の告知でもある。)がなされていれば足り、それ以上にとりたててカネクロールは食用油に含まれてはならないとの趣旨の警告の明示までが必要であるとは言いがたい。

それゆえ、一審被告鐘化にカネクロールの特性の告知ないしその安全性の限度について警告義務の違背があつたということはできない。

(五) 被控訴人カネミのとつた措置の非常識性について

のみならず、仮りに被控訴人カネミが前示一審被告鐘化のカタログの記載を誤読してカネクロールを実際上無毒に等しいと信じたためにカネクロールの混入した汚染油を再脱臭の上製品化する処置をとつたのが事実であるとしても、一審被告鐘化の前示カタログにカネクロールが無毒であつて食油中に混ざることがあつても脱臭操作を加えることによつて完全にこれを除去し得る旨の記載が存しないことはもとより、そのように考えるについて合理的な根拠を提供するような記載もこれを見出すことができない。また被控訴人カネミが汚染油の再脱臭による製品化の方針を決定するにあたつて一審被告鐘化にその可否や方法についてその意見を求めた形跡も認められない。

そうだとすると、二八〇キロもの大量のカネクロールが混入した汚染油を再脱臭しただけでカネクロールの完全な除去を確認しないまま製品化した被控訴人カネミの措置は、食品製造業者として全く非常識且つ異常な違法行為であり、一審被告鐘化にとつて予見可能の範囲には属しないものと認めざるを得ない。

なお、〈証拠〉によれば、三和油脂株式会社の工場長であつた岩田文男は一審被告鐘化の営業担当者からカネクロールの売込みを受けた際「カネクロールの毒性について動物実験を行つた結果全然支障がないことが判明した」旨聞いたと述べるが、岩田は同時に「蒸気を大量に吸うと肝臓に悪い」ということも右担当者から聞いたし、カタログを見てカネクロールに若干の毒性があることを知つていた旨述べているのであるから、岩田が聞いた「動物実験の結果支障がない」旨の一審被告鐘化の営業担当者の説明は熱媒体として通常使用するについてその毒性は問題とならない旨を述べたにすぎず、食品に混入した場合にそれを食用に供して毒性がない旨を述べたものではないことが明らかである。

また、〈証拠〉によれば、一審被告鐘化はその衛生管理室において労働科学研究所の検診結果や動物実験の結果を引用した文書を作成し、その中でカネクロール製造現場における障害予防対策として「(1)グルサン錠を一ヶ月一人当り六〇錠宛配布し、カネクロール蒸気の曝露状況に応じて服用せしめている。(2)保護クリーム(カネクタンA)の使用により、カネクロール蒸気による皮膚障害の予防と、カネクロール付着の際、簡単に洗去出来るよう計つている。(3)カネクロールは通常の石鹸で洗去しにくいので、産業洗剤を設置し、皮膚への付着物を直ちに洗去するようにしている。(4)素手にてカネクロールを扱わないよう注意すると共に、カネクロール蒸気への曝露時間を出来るだけ少なくするよう心掛けている。また環境改善には常に留意している。」旨記載していることが認められるところ、右書類はその記載自体から労働衛生上の観点からの対策ないし注意事項であること及びカネクロールが食品中に混入した場合の毒性や対策を記載したものでないことは明らかであつて、右証拠によれば、カネクロールに接触する機会が多いと通常考えられるカネクロール製造現場の労働環境に対応した注意対策と認められ、前示の熱媒体として閉鎖系で通常使用される場合を予定したカネクロールカタログ(甲第三三号証)の記載文言と異なつていることをもつて、一審被告鐘化が熱媒体用カタログに殊更虚偽の記載をしていたということはできない。

右三和油脂の天童工場長であつた花輪久夫(甲第三二〇号証)、日本精米製油株式会社に勤務していた内藤実(甲第三一六号証)、不二製油株式会社に勤務していた中山貞雄(甲第三一八号証)、右三和油脂の社長であつた坂倉信雄(甲第七二七号証)及び全国農村工業農業協同組合連合会の平塚工場で米糠油脱臭工程を担当していた高梨三男(丙第六九七号証)らのカネクロールの毒性認識や取扱いに関する発言は、カネミ油症事件以前には熱媒体は一般に特に問題になるほどに危険な物質とは考えられていなかつたという当時の一般的な認識及びそれに基づく熱媒体の取扱いの現状を述べているにすぎないと解され、同人らのカネクロールに対する右毒性認識や取扱いが前記一審被告鐘化のカタログの記載に基づくとは認め難い。

とりわけ、以上の各資料にあらわれている他の関係者のカネクロールの毒性認識が、被控訴人カネミの非常識な措置の意思決定に直接影響を及ぼしたことを肯定すべき証拠は存しない。

そうであれば、本件油症事故は専ら被控訴人カネミが、確たる根拠もないのに、カネクロールには問題とするほどの強い毒性はなく且つ混入したカネクロールは汚染油を再脱臭にかけることによつて除去し得ると妄断し、そのように実行した結果発生したものというべきであつて、これにつき一審被告鐘化に責任を問ういわれはないといわなければならない。

第八  被控訴人国の責任

一被控訴人国の第一の責任について

一審原告らは国民の健康の確保を至上のものと宣言する憲法の精神からも、本件のような油症被害の発生する前に、被控訴人国は関係法令を駆使し、或は法的根拠がなければ行政指導によつてPCBの大量生産大量使用を規制すべき義務があつたのにこれを怠り、かえつてPCBをJIS規格に指定することによつてその用途を拡大したものであつて、その懈怠は国家賠償法上違法であると主張する。

そして右の点に関連して、昭和二九年国産化が始つて以来PCBが大量に生産され、消費されてきたこと、PCBが本件のような油症被害をもたらし、更に環境汚染及びそのための人類の健康への影響が重視されるようになり、これを契機にPCBの生産販売が中止され、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律が制定されてPCBの生産販売が法的に規制され、OECDの理事会もPCBの使用禁止決定をしたいきさつについてはすでに認定したところである。

ところで、行政庁の権限不行使と国家賠償法一条一項の関係については、食品衛生法上の規制権限を含めて、その権限を当該行政庁が行使するか否か、またどのような方法で行使するかは、原則として専ら当該行政庁の専門的技術的見地に立つ裁量に委ねられているというべきであり、右のような裁量に基づく行政庁の権限不行使は、当、不当の問題を生ずることはあつても、原則として違法の問題を生ずることはないというべきである。しかしながら、具体的事案の下で、当該行政庁が右規制権限を行使しないことが著しく合理性を欠くと認められる場合においては裁量の余地はなくなり、行政庁は規制権限を行使すべき法律上の義務を負い、その不作為は国家賠償法上違法なものとなり、国又は地方公共団体はその結果生じた損害を賠償すべき責任があるものと解するのが相当である。そしてその権限不行使が「著しく合理性を欠く」かどうかは、(一)国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた危険のあること、(二)行政庁において右危険の切迫を知り又は容易に知り得べき状況にあること、(三)行政庁がたやすく危険回避に有効適切な権限を行使することができる状況にあること、以上の要件が存在するにもかかわらず、なお行政庁が権限を行使しない場合であるかどうかにより判断すべきである。

これを本件についてみるに、本件油症事件発生の昭和四三年以前においては、前示のとおりPCBは産業界はもとより社会一般においてさほど毒性の強い物質とは認識されておらず、環境汚染問題にしても、外国の先駆的研究者の指摘はすでになされていたとみることはできるとしても、少なくとも我が国において世間一般の注目をひき本格的な調査研究が始められたのは昭和四五年以降であつたものであるから、その以前である昭和四三年当時被控訴人国にPCBの環境や人体に対する危険性についての調査研究義務を課すことはできず、従つて、被控訴人国がPCBのもつ人の健康に対する被害発生の差し迫つた危険を容易に知り得べき状況にあつたとすることはできないし、また、被控訴人国が一審原告ら主張のようにPCBをJIS規格に指定したこと(このことは争いがない。)をもつて直ちに国が用途拡大を促進し本件油症の原因を作つたものと認めることもできないから、この点の一審原告らの主張は採用できない。

二被控訴人国の第二の責任について

1一審原告らは被控訴人国の第二の責任として、食品による危害から国民の生命、健康を守るべき責任をあげる。しかしてその具体的内容は、行政庁が食品衛生法上の諸権限の行使をなさなかつたことが国家賠償法上違法であるというのであるから、前述の行政庁の権限不行使が国家賠償法上の違法性を帯びる場合の(一)国民の生命、身体、健康に対する被害発生の差し迫つた危険があること、(二)行政庁において右被害発生の危険の切迫を知り又は容易に知り得べき状況にあること、(三)行政庁がたやすく危険回避に有効適切な権限行使をすることができること、以上の要件を満たす場合にもかかわらず、なお行政庁が権限を行使しない場合であるか否かについて、以下、一審原告らの主張する各公務員の不作為の違法性について判断を進める。

ところで、被控訴人国、同北九州市は、食品衛生行政における厚生大臣らの権限は、公益目的達成のため、食品製造販売業者との関係において与えられているのであるから、右権限行使の結果消費者である個々の国民が利益を享受することがあつても、右利益は反射的利益にすぎず、したがつて厚生大臣らは単に反射的利益を受けるにすぎない特定の個人たる一審原告らに対し行政権限を行使すべき義務を負うものではない旨主張する。しかしながら、本件において一審原告らは、食品衛生行政上の権限不行使により現にその固有の法益たる生命、身体を侵害されたとして、国家賠償法に基づきその損害賠償を求めているものであり、同法上当該公務員の食品衛生行政上の不作為が違法と評価される場合には、国はそれによつて生じた損害を賠償すべきであつて、食品衛生法上の厚生大臣の権限が本来食品製造販売業者に対するものとして規定されていることから直ちに右の一審原告らの国家賠償法上の権利が否定されるものではないと解される。従つて右被控訴人らの主張は理由がない。

2内閣及び厚生大臣の不作為の違法性について

一審原告らは、内閣が政令で食用油脂製造業を営業許可業種に指定しなかつたこと及び厚生大臣が食品衛生法七条一項、一〇条一項の権限を適切に行使してPCBの食品工業での使用を禁止し又は規制しなかつたことはいずれも違法であつて、PCBが食品工業の熱媒体として使用されることから生ずる国民の健康被害への危険を防止する義務を怠つたものであると主張し、本件事故当時食用油脂製造業が営業許可業種に指定されていなかつたこと、食用油脂製造装置中の熱交換器やPCBを熱媒体として使用することにつき規格、基準が定められていなかつたことは当事者間に争いがない。

しかし、PCBが食品工業の熱媒体として使用されるようになつたことから食用油による健康被害が発生する危険が生じ且つそれが切迫しているということを、本件油症事故の発生に先立ち被控訴人国の公務員が実際に覚知していたとか、又は容易にこれを知り得る状況にあつたと認むべき証拠はなく、却つて〈証拠〉を総合すれば、化学工業の発展、食品製造工業技術の進歩に伴い、昭和二九年ごろから食品製造工程でPCBを始めとする有機化学薬品が熱媒体として使用され始め、これが急速に普及したこと、本件油症事件発生に至るまで食用油脂に基づく中毒その他の事故は絶無に近く、食用油脂製造業は、食品衛生上問題のある、すなわち食品事故を起す可能性のある営業とは考えられていなかつたこと、少なくとも本件事故までは食品に熱媒体が混入したことによる健康被害事故は経験されていないこと(甲第二七四号証によれば、水田勲はわが国における大手製油業者の一つである吉原製油において就業中、熱媒体であるダウサムオイルが脱臭缶のパイプから漏れ油に混入したことを見聞したことがあるが、健康被害にまでは至らなかつたことが認められる。)が認められるから、右一審原告ら主張の食用油脂による被害発生の危険の切迫を被控訴人国の公務員が容易に知り得べき状況は当時存在しなかつたものといわざるを得ない。

従つて、右の状況が存在したことを前提とする一審原告らの請求原因(二)の(2)(内閣の不作為の違法性)及び同(3)(厚生大臣の不作為の違法性)の主張はいずれも採用することができない。

3国の機関としての福岡県知事、北九州市長の不作為の違法性について

一審原告らが、福岡県知事や北九州市長が被控訴人カネミの営業許可ないし更新許可を行う際に、PCBを熱媒体として使用していた脱臭工程について、何ら確認せず、また何の条件も付さなかつたことが違法であると主張する点についての判断は、原判決理由説示(原判決a144頁九行目から同a146頁五行目まで、ただし、a144頁九行目冒頭の「4、」を削り、a145頁一七行目の「混入事故」を「混入による健康被害事故」と、a146頁二行目の「員が」を「員に脱臭工程における熱媒体の漏出による油への混入までを予見すべき義務を課すことはできず、同監視員が国民の生命、健康に対する被害発生の危険の切迫を容易に知り得べき状況にあつたとはいえない。してみれば同監視員が」と、同頁四行目の「行為は、著しく不合理」を「行為も又国民の生命、健康に対する被害発生の危険の切迫を容易に知り得べき状況においてなされた違法」とそれぞれ改める。)のとおりであるからこれを引用する。

4食品衛生監視員の不作為の違法性

一審原告らが食品衛生監視員が被控訴人カネミについて(1)営業許可や更新許可の際の実地検査(2)施設の監視(3)製品検査をそれぞれ適正に行わなかつた違法性があると主張する点についての判断は、原判決理由説示(原判決a146頁六行目から同a149頁一〇行目まで、ただしa146頁六行目冒頭の「5、」を削り、a147頁七行目の「直さ」を「直ち」と、a148頁四行目の「混入事故」を「混入による健康被害事故」と、a149頁九行目の「混入するという事故」を「混入することによる健康被害事故」とそれぞれ改める。)のとおりであるからこれを引用する。

三ダーク油事件について

一審原告らは、被控訴人国がダーク油事件の発生した際、食用油に関してなんらの適切な対応をなさなかつたことについて、右被控訴人に責任がある旨主張する。

1ダーク油事件とは、前記のとおり昭和四三年二月中旬ころから三月上旬までの間、西日本各地で約二〇〇万羽に及ぶ鶏(ブロイラー及び採卵鶏)が中毒症状に罹患し、その症状は、活力低下、食欲不振、開口呼吸等で剖検所見として心のう水、腹水増加、肝壊死、下腹浮腫等が認められ、約四〇万羽の鶏の雛がへい死した事件であるが、その後の調査の結果、右事件が、油症事件と同様、配合飼料に添加された被控訴人カネミ製造のダーク油に同被控訴人のライスオイルの脱臭工程で熱媒体として使用中のカネクロール四〇〇が混入したことによつて生じたことが明らかとなつたものである。

そして、右ダーク油はライスオイル製造工程のうち、脱酸工程で分離されたフーツが硫酸で分解されてできるものであるが、右ダーク油中にカネクロール四〇〇が混入した経路については、脱臭工程で生ずる飛沫油、セパレーター油、あわ油のほか、一号脱臭缶内カネクロール蛇管の工作ミスによつてカネクロールが混入した汚染油の一部がそのまま又は再脱臭後ダーク油に投入された可能性があることは既に述べたとおりである。

2前記当事者に争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、ダーク油事件の経過とこれに対する行政及び関係者の対応に関し次の事実を認めることができる。

(一) 福岡肥飼検は、昭和四三年三月一四日鹿児島県畜産課から、同県下のブロイラー団地で鶏のへい死事故が多発し、原因は不明ではあるが、おおよその原因は給餌している鶏の配合飼料にあるらしいとの電話連絡を受け、翌一五日には右配合飼料を製造していた東急エビス産業九州工場の製造課長から、同社製造の配合飼料Sブロイラー、Sチックの二銘柄が右事故の原因と推定されること、右二銘柄が使用している原料で他の銘柄と異なるものは被控訴人カネミ製造のダーク油であることが判明したので、東急エビス産業としては同月九日から自発的に右二銘柄の生産と出荷を停止していること等について報告を受け、改めて同社に対し当該飼料の生産と出荷の停止を指示すると共に顛末書の提出を求め、農林省(現農林水産省、以下同じ。)畜産局流通飼料課にその旨報告した。さらに、福岡肥飼検は、農林省流通飼料課の指示を受け、同月一八日、九州及び山口の各県に対し、被控訴人カネミ製造のダーク油を使用した前記配合飼料の使用停止並びに回収を指示すると共に同一飼料による再現試験の実施を依頼し、同月一九日には飼料課長矢幅雄二を鹿児島県に派遣して実情調査を行い、また同日東急エビス産業九州工場に係官を派遣して当該飼料の製造方法、生産出荷状況、原料入荷状況等について立入調査を行い、鹿児島県の現地から返品になつた飼料及び右工場タンク内のダーク油を収去した。そして、同日問題になつた配合飼料の他の製造業者である林兼産業にも右同様事故の顛末書の提出を求めた。

(二) 一方、福岡県農政部においては、同年二月中旬から県下に異常鶏が多発し、当初ニューカッスル病を疑つたが、病性鑑定、飼料等の調査の結果、特定銘柄の飼料に疑いをもち、同月下旬県下の全家畜保健衛生所に緊急連絡し、該当の飼料の給与中止を命じ、その後同年三月一二日粕屋保健所が東急エビス産業の九州工場に立入調査を行い、その時点で原因は被控訴人カネミ製造のダーク油と推定したうえで、同年三月二七日から県の種鶏場で再現試験を行い、同年四月二七日までに全例死亡の結果を得て再現を確認した。また、鹿児島県畜産課においては、同年三月八日夜養鶏家から飼料中の毒物検査の問い合せがあり、同月一二日農林省家畜衛生試験場九州支場に異常鶏の病性鑑定を依頼している。

(三) 他方、東急エビス産業においては、同年三月四日福岡市内飼料店傘下養鶏場にSブロイラー使用の鶏へい死事故発生との情報に接し、粕屋保健所にHIテスト(赤血球凝集阻止反応)を依頼し、その結果同月五日「ニューカッスル病ではない、或種の中毒ではないか」との診断を得、次いで、同月一二日前記のとおり粕屋保健所の工場調査を受け、原料配合割合、添加油脂等について調査し、その過程でカネミ製造の油脂に原因があるとの疑念を持つた。また林兼産業においては、同年三月四日岡山県下より同年二月下旬ころより鶏の産卵の急激な低下が報告され、同年三月五日同社養鶏場からも同年二月一六日以降急激な産卵低下の連絡があつたほか、同年三月一一日山口県、福岡県下よりブロイラーのへい死事故が同社に報告され、同月一二日には、へい死事故の発生した所では同年二月二〇日及び同月二三日製肥育用ニューレットが使用されていたことが判明した。そこで同社は同年三月一四日特約店に対し二月製造飼料の全ての使用停止と回収保管を指示した。右経過から林兼産業においても、同年三月一六日には事故原因として被控訴人カネミ製造のダーク油に疑いを抱くに至り、ダーク油を使用している銘柄につき末端の飼育状況調査を開始したところ、同月一八日、事故発生銘柄は同年二月一五日から二三日に出荷された地区に殆んど限定されていることが判明し、ダーク油の入荷状況、東急エビス産業の事故情報及び製品出荷と事故発生の条件を考慮した結果、原因となつた原料は被控訴人カネミより同年二月一四日入荷したダーク油であることがほぼ確実と判断した。そこで、林兼産業は同年三月一九日福岡肥飼検に、同月二二日流通飼料課にそれぞれ状況報告をなし、同年四月二日には福岡肥飼検の仲介により東急エビス産業と第一回目の事故原因究明打合せ会を持ち、その席で同年二月一四日入荷の被控訴人カネミダーク油に原因があるとの点で意見の一致をみた。

(四) ところで、福岡肥飼検は、肥料取締法と飼料の品質改善に関する法律とに基づいて、流通している肥料及び飼料の検査を所管しているものであつて、本来の職務権限としては農林大臣の指定している飼料生産工場に対して立入検査権が認められるにとどまり、被控訴人カネミに対しては、その業務が指定飼料の生産工場ではないため立入調査の権限はなかつたが、カネミ工場に対する調査を実施しなければダーク油そのものの性状及びその製造工程、出荷状況等ダーク油の実態が全く不明であつたので、同被控訴人の事前の了解を得て現地実態調査の実施に踏み切り、同月二二日飼料課長矢幅雄二、同課係員水崎好成が同被控訴人本社工場で右実態調査を行つた。

これに先立ち、同肥飼検所長福島和は、矢幅課長に対し、ダーク油がどういうふうに生産され出荷されるか、またそれが実際に使用されるようになつた開発の状況についても調査して来るように指示した。

(五) 矢幅課長は右本社工場においてダーク油の原料、製造工程、保管状況等について説明を求め、説明の衝に当つた森本工場長からダーク油の製造方法について聞き、その際簡単なダーク油及びライスオイル(食用油)の製造工程図を受取つたが、それには脱臭工程等食用油についての詳しい工程の記載はなかつた。

矢幅課長は森本工場長からダーク油を製造するまでに使用している薬品について詳細に聞き、ダーク油の製造工程を見分した。そのあと、同課長は食用油の方には心配がないのかどうかを質し念のため食用油の製造工程も見せて貰つたが、工場側はその案内を拒むこともなく、食用油はダーク油とは無関係で、現に従業員は製品を日常購入使用しているほか、特に風味テストの担当者は生のまま飲んでいるが何ら異常がないとして、その心配は要らない旨を強調したので、それ以上食用油の安全性を追及する必要はないと考えた。

なお、当時食用油による人の健康被害については何らの情報もなかつたし、また当時まで鶏と人との共通原因に基づく事故の例も報告されたものはなかつた。

(六) 一方、被控訴人カネミ側としては、矢幅課長の右調査に対して、ダーク油が鶏の大量へい死事故の原因となるような事情について思い当ることがなかつた(カネクロールにそれほどの強い毒性があるとは考えていなかつた。)ため、いつもと同じ製造工程で同じ原料を使用しているので問題があるとは考えられないとして反発し、事故の原因がカネミの責任範囲内にあることを極力否定した。矢幅課長からは、カネミの製造したダーク油を混入した配合飼料によつて現実に事故が発生しているとの反論がなされたが、それ以上に議論を進展させる材料は双方に無く、結局事故の原因については双方とも何の手がかりもつかめないままで調査は終らざるを得なかつた。

なお、被控訴人カネミは、ダーク油事件の原因が同被控訴人製造のダーク油に起因することが確定した後である同年七月一五日の時点においても、日本米油工業界の緊急中央技術委員会(ダーク油事件発生によりダーク油価格が暴落したため、その対策を検討するために開催された。)の席上で、「事故原因は権威ある国家試験機関において科学的にダーク油によるものであることが判明したのであえて反論するものではないが、数年来この種の事故発生は皆無であること、当該ダーク油も正常な製造工程により生産されていること、他の何らかの物質と合し相乗作用により毒性を発揮したものではないか疑問があることから、ダーク油のみの毒性が原因であるとは今もつて考えられない。」として抵抗の姿勢を示していた。

(七) 矢幅課長は福島所長に対し、右実態調査の結果についてダーク油の大まかな工程を把握したがその製造工程中には格別問題はないと報告し、その旨は福島所長から直ちに農林省流通飼料課に連絡された。

右調査の内容、結果については、福岡肥飼検から福岡県に正式には通知されなかつたが、その後矢幅課長から福岡県農政部の係官に対し実態調査の結果の概要が、カネミ側が食用油については安全であるという態度をとつていたことも含めて、非公式に伝えられ、このため福岡県農政部は同県衛生部にダーク油事件の経緯を連絡しなかつた。

(八) 福岡肥飼検は、農林省流通飼料課から原因毒物についての究明を命じられたが、同肥飼検は分析業務としては飼料中の栄養成分についての分析、鑑定を主とするもので設備も乏しい事情にあつたので、これを理由として、権威ある公的機関によつて判定して欲しい旨を流通飼料課に連絡した。その結果同課から福岡肥飼検に対し、畜産局衛生課と協議した結果ダーク油の毒物、原因物質の究明は家畜衛試に依頼することに決まつたので福岡肥飼検から正式に家畜衛試に病性鑑定を依頼するように、との指示があり、同年三月二五日、福岡肥飼検は家畜衛試に対し関係配合飼料及び原料のダーク油を添えて原因物質の究明を目的とした病性鑑定を依頼し、他方飼料製造業者二社に対しては、本省の了解を得て、ダーク油を使用しないことを条件に、前記飼料の生産出荷停止を解除した。

なお、右生産出荷停止の解除に了解を与えた農林省流通飼料課では、ダーク油事件の原因毒物がダーク油そのもの又はその含有物であること及びダーク油と食用油の製造工場、その使用原料、途中までの製造工程が同一であることを福岡肥飼検からの報告等により了知していたが、当時そのことから食用油に危険があるとは考えていなかつた。

(九) 流通飼料課は、福岡肥飼検から家畜衛試に対する鑑定依頼前、家畜衛試担当官と下打合せを行つたが、その際、鑑定の趣旨について原因物質の究明が第一であるとの説明が徹底しなかつたため、研究員小華和忠は鑑定の趣旨をダーク油自体の毒性の再現試験が主目的であるように受けとつた。

(一〇) 右病性鑑定の依頼を受けた家畜衛試では、アイソトープ研究室長小華和忠が中心となり、同年四月一七日から四週間にわたつて中雛を使用し、また製造月日が二月一五日に近接した鑑定材料を使用して中毒の再現試験を行つた結果、当該飼料のみならず配合飼料に使用されたダーク油自体の毒性も再現され、その臨床症状は九州地方において発生した鶏の中毒症状に極めてよく類似し、食欲減退、活力低下、翼の下垂、次いで腹水、食欲廃絶、嗜眠などが認められ、剖検所見も事故中毒鶏の症状に類似し心のう水及び腹水の著増、胸腹部皮下の膠様化、出血、上頸部皮下の出血などが認められ、更に発光分析による有毒性無機物質の検出については陰性で、鉛、砒素、マンガン、カドミウム、銀、スズ、銅等は検出されなかつた。

そこで小華和忠は、同年六月一四日、福岡肥飼検に対し家畜衛生試験場長名で右検査の結果に基づき病性鑑定回答書を送付したが、その中の別紙鑑定書部分の表題は「鶏のダーク油に原因する中毒性疾患の再現試験成績報告」と記載されており、右鑑定書には右の検査の結果のほか、考察として、「シュミットルらの報告によると、本中毒と極めてよく類似した鶏の油脂中毒がアメリカのジョージア、アラバマ、ノースカロライナー及びミシシッピーの各州に一九五七年に発生している。その際この毒成分の本態がほぼ明らかにされているが、非水溶性、耐熱性の成分である。本病鑑例の毒成分と、アメリカで発生した中毒の毒成分とが全く同一であるかどうかは不明であるが、油脂製造工程中の無機性化合物の混入は一応否定されるので、油脂そのものの変質による中毒と考察される。」と記載されていた。

(一一) 農林省畜産局では、家畜衛試の右鑑定結果によつて配合飼料に使用されていたダーク油が事故原因であることが明確になつたので、これでダーク油事件に対応する行政的措置をとることが可能になつたとして昭和四三年六月一九日付で同局長名による「配合飼料の品質管理について」という通達を各都道府県知事に発し、「今回の鶏の大量事故の原因がダーク油にあることが判明したが(なお、当該ダーク油中に含まれている毒性については調査中である。)、我が国の飼料事情が年年配合飼料に対する依存度を強めていることから、飼料製造工場における原料及び製品の品質管理は極めて重要であり、今後このような事故の再発を防止するため右品質管理の徹底を期するよう指導されたい」旨の指示をしたが、他方東急エビス産業及び林兼産業に対しては、文書をもつて製造管理、品質管理に一層配慮するよう注意を促した。

そして、流通飼料課係官福原進は、財団法人農林弘済会が発行し事実上同課において関連記事のとりまとめに当つている月刊誌「飼料検査」七月号(一九六八年第六二号)の「時の動き」欄で右通達の解説を行い、通達における品質管理の趣旨を各飼料会社や検査機関等に周知させるようにした。

右福原進は、その頃食糧庁油脂課からダーク油の製造工程及び関連する米油の精製工程の資料をもらつてきたり、東京都品川にある米油製造工場を見学したりしたが、なお食用油の安全性について危惧を抱くには至らなかつた。

(一二) また、流通飼料課の鈴木惣八技官は、家畜衛試の鑑定書が出されてから間もなく、農林省畜産試験場栄養部長の森本宏にとるべき処置についての意見を求め、同人の示唆に基づき、家畜衛試の鑑定では明確にされなかつたダーク油事件の原因毒物の追究同定と、これまで規格の定めがなかつた飼料用油脂の品質規格の制定を目的として油脂研究会を開催することにした。同年八月七日に農林省関係の食糧研究所、東海区水産研究所、畜産試験場、家畜衛生試験場、東京肥飼料検査所等から係官が集まり、右研究会の準備会を持つたが、この段階で既に家畜衛試の米村壽男からダーク油の事故原因は油脂の変敗ではないらしいとの発言がなされ、取りあえず食糧研究所の方で化学分析検査をしたところ油脂の変敗は否定され、一方前示シュミットルらの報告にあるアメリカで発生した鶏雛の心のう水腫症(チック・エディマ・ディジーズ)と本件鶏の症状とが類似するため、更に家畜衛試でリーベルマン・ブッヒァルト法によつて右チック・エディマ・ディジーズの原因物質の検出同定に当ることとなつた。

そして、同年九月三日に第一回の研究会が開かれ、来日中のワイルダー博士を招いてアメリカのチック・エディマ・ディジーズに関する講演を聴き、次いで第二回目を同年一〇月四日に開催したが、その際家畜衛試が実施したリーベルマン・ブッヒァルト反応の成績が報告され、結局チック・エディマ・ディジーズの原因物質の検出にはこの方法では不適当であるから他の方法によるべきであるという結論が出された。

その後、油脂研究会は本件油症の発生もあつてこれといつた活動はしていない。

(一三) ところで、東急エビス産業では、同社中央研究所の甲賀清美が、同年三月一一日同社九州工場から鶏の大量へい死の報告を受けて直ちに調査に着手し、日を経ずしてダーク油事件の事故原因が配合飼料設定のミスに係るものではなく被控訴人カネミのダーク油に起因するものと推定し、同月中旬以後ダーク油の毒成分について実験研究を開始した。

甲賀はまず事故配合飼料による鶏雛の中毒症状再現試験を実施すると共に事故に関連する文献を調査し、同年四、五月ころには、本件鶏の症状が一九五七年にアメリカで発生した前記チック・エディマ・ディジーズと呼ばれるブロイラー事故の症状と類似しており、それを惹起する原因物質の本体は不明でチック・エディマ・ファクターという名で呼ばれていること、同年六月までにはそれがおおよそのところ有機塩素系化合物によるものであると考えられていることを知つた。そして、甲賀は前記再現試験の経過及び雛の剖検症例によつて、その症状が前記チック・エディマ・ディジーズに酷似していることが判明したので、ダーク油の毒性物質がいわゆるチック・エディマ・ファクターではないかと疑い、アメリカ分析化学会の公定分析法であるAOAC法のうち比較的やりやすい生物試験法による実験を昭和四三年五月下旬以降試みるとともに、同年六月初旬には、アメリカの大手の油脂メーカーであるプロクター・ギャンブル社に対し、チック・エディマ・ディジーズ事故の内容及び事故に対してどういう対応ないし品質管理をなしたかについて問い合わせた。そして、甲賀は右実験の結果同年六月二〇日ころにはチック・エディマ・ファクターの存在を検索しえたが、このチック・エディマ・ファクターがアメリカで発生した事故の標的物質と同一であるかどうかは未だに不明であつた。そして、甲賀は同年七月一七日ころプロクター・ギャンブル社から前記問い合せに対する回答(油中の毒性物質はヘキサクロロジベンゾ・パラ・ジオキシンの混合物であるとする。)を入手し、AOAC法のうちガスクロマトグラフを使用する化学分析法によつて標的物質を追求しようとしたが、当時東急エビス産業にはガスクロマトグラフがなかつたので、新たに機械を発注しその到着を待つうち本件油症事件が発生した。

(一四) 厚生省国立予防衛生研究所で食品衛生部の主任研究官をしていた俣野景典は、業務のかたわらインスタントスパゲティの油の研究をしていたものであるが、同年八月一六日日本食品分析センターの友人山口某から参考のため借り受けた家畜衛試の病性鑑定書を一読し、ダーク油事件の概要から、鶏がこれだけ死ねば常識的にみて精製食用油の方でも人体に害を及ぼすのではないかと思い、同月一九日流通飼料課の鈴木技官に電話して、農林省の方でよく検査していないようだから厚生省の方で検査してみたいのでダーク油を分けて欲しいと頼んだが、同技官からダーク油事件は既に解決済みであるし、ダーク油そのものも廃棄処分にしたということで拒否された。

それで、俣野は同日厚生省に赴き、同省食品衛生課の杉山課長補佐に対し、ダーク油事件では精製油にも危険があるのではないかと注意を促した。

3そこで、以上の事実関係に照らし、一審原告らの主張するダーク油事件に際しての被控訴人国の国家賠償法一条に基づく責任の存否について検討する。

右一審原告らの主張は、同事件に際して必要な規制措置をとるべき国の行政機関がその権限の行使を怠つたとして権限の不発動の違法を主張するものと解される。

ところで、国がダーク油事件に際し、本件油症事故の発生・拡大を防止するために有した権限といえば、当時の食品衛生法の規定による食品の製造・販売業者等に対する一定の規制権限だけであつて、右権限は同法が明文をもつて規定する処分以外に行政指導として相手方の同意のもとに必要な措置をとることをも許容するものと考えられるが、いずれにしても行政指導を含む一定の権限の行使をするか否か、どのような限度でこれを行使すべきかは、本来食品衛生法によつてその権限を付与された行政機関が同法の目的にてらして自由な裁量によりこれを決すべき事項である。すなわち同法は、有毒又は有害な物質を含む食品が公衆に提供されることを防ぐために、食品の製造・販売業者等に対し食品衛生上遵守すべき諸般の事項を詳細に規定し、特に有毒・有害食品の製造・販売を懲役刑を含む重い罰則をもつて禁止し、そのことによつてこれら営業者に対して食品の安全の確保につき厳しい第一次の責任を負わせるとともに、厚生大臣、都道府県知事(政令指定都市の市長)、食品衛生監視員に対し、営業者の施設等について監視又は指導を行い、必要に応じて営業者に対し報告を求め、営業の場所等を臨検し、食品その他の物件を検査し又はこれを試験のために収去する等の権限を、事柄の軽重に従つて配分付与し、遵守事項に違反した営業者に対し営業の禁止又は停止を含む一定の処分を行うことができるものとし、その権限の行使を通じて第二次的後見的な立場から食品の安全をはかる、という構成をとつているのである。従つて右のような営業者の第一次の安全確保義務を後見的に補完する立場にある食品衛生担当行政機関の権限の不行使が不法行為となる(すなわち違法と評価される)のは、その裁量権が収縮し他の選択が許されないような例外的な場合に限られるものといわざるを得ない。その意味において、国が公衆に危険を及ぼす原因となる事態を自ら作出したためこれを除去する責任を負う場合とか、公道上で工事を施行し車両を走行させる等現に公衆に危険を及ぼす可能性のある事実行為をする場合など、国が全面的第一次的に危険防止の義務を負う場合とは異なり、食品営業者がその責任において第一次的に対処すべき危険のすべてについて、いやしくもその認識可能性が否定されないかぎり、食品営業者をさしおいてつねに国の食品衛生担当行政機関自らの手で積極的な回避手段をとらないかぎり当然に不法行為となるというものではない。

そのような食品衛生担当行政機関の不作為が不法行為を構成するのは、前記一及び二の1で判断したとおり、(1)国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた危険があること、のほか、本来食品衛生担当の公務員について(2)その危険の切迫を知り又は容易に知り得べき状況にあつたこと及び(3)たやすくその権限を行使することができ、その権限の行使が危険回避にとつて有効適切な方法であつたこと、が肯定される場合でなければならない。

この点について一審原告らは、食品衛生担当の行政機関がその規制権限を行使しなかつたのは、福岡肥飼検の矢幅課長をはじめダーク油事件の調査処理にあたつた農林省の担当者が、ダーク油事件によつて明らかになつたライスオイルの危険性を食品衛生担当の行政機関に通報すべき義務があるのにこれを怠つたためであるとして、その通報をしなかつたことを含む国の不作為全体が不法行為を構成すると主張する。

そこで先ず農林省の公務員について、そのような通報が職務上の義務となる場合があるか否かについて考える。

当時の農林省設置法によると同省の所管事務の中に食品及び飼料の生産・流通・品質の向上に関する事務が含まれることが明らかであり、また食品と飼料とは、同じ一つの農林水産物のうちの精良な部分が食品となりそうでない部分が飼料となるものがあつて(現に米糠は、それから抽出精製された精良な成分が食用油となり、早期に分離された他の成分を主体とするダーク油が配合飼料の原料となる関係にある。)、食品の安全を所管する行政と飼料の品質を管理する行政とは相関連し、相互の連絡協調を必要とする面をもつことは否定できない。そうであれば、飼料の品質に関する事務を担当する部局の農林省の公務員がその職務の執行に関して、流通する食品に毒物が混入していることを覚知する機会がないとはいえず、そのような場合、これを食品衛生担当の行政機関に通報して規制権限の発動を促すことは、その職務に関する義務となり得るものというべきである。

ただそのような通報は、法令に定められた義務でないことはもとより、直接法令に根拠を置く行為でもないから、これが職務上の義務となるのは、少くとも自己本来の職務に関し付与された権限の行使が義務となる例外的な場合と同様の特別な事情があつて、法令上の根拠がないというだけの理由では通報を怠ることが正当化され得ないような場合に限られると考えざるを得ない。従つて、矢幅課長をはじめとする農林省の関係公務員が、ダーク油事件に関し食品衛生担当の行政機関にライスオイルの危険性について通報する義務があつたとするためには、少くとも自己本来の職務に関して付与された権限の行使が選択の余地なく義務づけられる場合の前記三要件と同程度の要件の存在が肯定されなければならないというべきである。

以上のことを念頭において、次に一審原告ら主張の国の公務員についてダーク油事件に関し前記三要件をみたす事情が肯定されるか否かを検討する(但し当時カネクロールで汚染されたライスオイルはすでにカネミから出荷されており、ライスオイルによる人体被害発生の危険が差し迫つていたことは明らかであるから、個々に検討を要するのは右(1)の要件を除く(2)及び(3)の要件の存否ということになる。)。

(一) 福岡肥飼検の公務員

福岡肥飼検は前認定の鶏の大量へい死事故について、その拡大ないし再発防止の観点から、原因究明のため矢幅飼料課長を派遣してカネミ工場に対し立入調査を行つたが、何ら原因の手がかりをつかむに至らなかつたこと、ただダーク油とライスオイルとが同一の原料から工程の一部を共通にして製造されるものであることが明らかになつたため、ライスオイルの方に問題がないかどうかを一応懸念し、念のためライスオイルの製造工程をも見せて貰つたが、カネミ側からライスオイルについては何ら危惧する必要はない旨の言明を受けたことは前認定のとおりである。

そして、さきに認定した事実関係及び弁論の全趣旨からすると、当時カネミの工場幹部はカネクロールに強い急性の毒性があるとは考えておらず、そのため鶏の大量へい死事故の原因物質がカネクロールであることに思い至つていなかつたばかりでなく、ライスオイルは毎週社内に販売されていながら偶々従業員やその家族に身体の異常をうつたえる者がなかつた(〈証拠〉によると、昭和四三年二月の社内販売日は第一回が同月五日、第二回が同月一二日にあたつており、社内販売に宛てられたのは殆んどビン入りのものであつたが、ビン入油でカネクロールの混入が証明されているのは同月七日以降数日の製造分に限られ同月一一日以降製造分からは検出限界に近い微量が検出されたにとどまることが認められるから、右二回の社内販売は、いずれも偶々従業員が汚染油を買わずに済むようなめぐりあわせになつていたと考えられる。)ことから食用油の安全には問題がないと信じていたものと認められるから、カネミ側の右言明は、単なる責任のがれのあやふやなものではなく、それなりの根拠に裏付けられていて、具体的な事実の根拠とこれに基く因果関係の説明なしには動かすことのできない明確な姿勢を伴つたものであつたと考えなければならない。

一方、当時の状況としては、カネミのダーク油を配合した飼料を与えた鶏にだけ事故が発生していることからカネミのダーク油が鶏のへい死事故に関係しているであろうと推定されていただけで、果してダーク油に有毒物質が、その製造過程において原料米糠から食油精製工程と工程を共通にする脱酸工程までの間に存在、生成または混入したのか、フーツ分離後ダーク油製造までの間に生成または混入したのか、ダーク油製造後飼料に添加されるまでの間に生成または混入したのか、は一切不明であるのみならず、その物質が何であるかはもとよりどのような種類のものかさえ全く知られておらず、食用油に原因があるのではないかと疑われるような人体被害が生じているという情報も存在せず、また当時まで鶏と人と共通の原因による中毒事故が経験されたこともなかつたのであるから、矢幅課長としてはカネミ側の明確な否定にもかかわらずなおかつ食用油に危険があるとする具体的な根拠はこれを有しなかつたものといわざるを得ない。

すなわち、同課長が食油の製造工程を見せて貰おうと考えた際に抱いた食油の安全性についての懸念は、食油に毒物が混入していると信ずべき事態を把握したことによるものでないことはもとより、因果関係の連鎖を辿つて合理的に推理到達することのできる具体的な蓋然性をもつた(その意味で実際上の対応が可能な)危険に対するものでもなく、一般的抽象的な単なる可能性に対する一応の危惧にとどまるもので、特に疑をさしはさむべき状況や解明を必要とする事情を伴つていたのではないことが明らかである(客観的な事実としては、その四、五十日前にカネミ工場ではカネクロールの漏出混入事故が発生し工場側ではその事態を認識していたのではあるけれども、矢幅課長の側には、カネミが食用油の脱臭工程でカネクロールを熱媒体として使用しており且つそのカネクロールは有毒であるといつたことの知識がなかつたことは弁論の全趣旨により明らかであるから、カネミ側がカネクロールの漏出という過去の出来事を鶏のへい死事故の原因である可能性のある事柄として認識し進んでこれを告知しないかぎり、矢幅課長の側からその事実を追及究明する手だては全くなかったものといわざるを得ない。)。それゆえ、同課長は、カネミ側の前記言明を被控訴人カネミ倉庫の責任における食油の安全性の保障と受取り、そのような保障の言明を得たことで懸念を解いたものとみることができるのであつて、そのことについて同課長に落度があるということはできない。

これを要するに、矢幅課長はカネミ倉庫の工場に立入調査を実施したことの結果として、カネクロールに汚染されたライスオイルがすでにカネミ倉庫によつて出荷され汚染ライスオイルによる人体被害発生の危険が切迫していることを現実に覚知したものでないことはもとより、同課長の職務の内容やその通常有すべき知識経験にてらし右危険の切迫を容易に知り得べき状態におかれたわけでもないといわざるを得ない。

のみならず、同課長がなおカネミ倉庫製造の食用油に何らかの有毒物質が含まれている疑が完全に払拭されるに至つていないとして、仮りにその旨を念のため食品衛生担当官庁に通報したとしても、そのような通報は性質上単なる任意の事務連絡であつて、相手方に対し参考情報を伝達すること以上に何らかの職権の発動を義務づける効果を生ずるものではない。またそのような通報を受けたからといつて食品衛生担当官庁が汚染ライスオイルによる人体被害の切迫を当然ないし容易に覚知し得るに至ると認むべき根拠もない。すなわち、食品衛生担当官庁の職員にとつても、右通報自体からは矢幅課長が有していた以上の情報を獲得し得るものでないことは当然で、それ以上カネミ倉庫関係者に事情聴取を重ねてみても、当該関係者の事実認識が前記のようなものである以上、矢幅課長に対するのとは異る対応がなされその結果具体的な危険予測に結びつく新たな知見が得られたであろうと期待することは困難といわざるを得ない。してみると、食品衛生担当の職員としても、結局はカネミ倉庫に対し食油の安全性について責任をもつて充分留意するよう警告するという以上の措置をとることがその段階において可能ないし現実的であつたとは、たやすく考えがたい。

そのような場合においても、強い勘の働きに導かれて、念のためカネミ倉庫に対して、鶏のへい死事故の原因ではないかと考えるダーク油の製造年月日の調査を要求し、重ねてそれと製造工程が関連をもつと考えられる製造年月日のライスオイルの特定をさせ、その現物の提出を要求し、その提出が得られた場合更に進んで鶏の飼料に混ぜてその毒性の有無を試験し、その結果毒性があることの証明に成功したとすれば、極度に徹底した食品の安全確保の措置の例として称揚が惜しまれないであろうけれども、そのような措置を目して食品衛生担当の公務員にとつて裁量の余地のない職務上の義務であるとはいうことができない。

のみならずその場合、食品衛生担当の行政庁が、例えば食糧庁油脂課などと協力して、ダーク油製造工程と途中まで工程を同じくする食用油の精製工程を検討した上、カネミ倉庫に対して鶏のへい死事故の原因と考えられるダーク油の製造年月日(当時の事情のもとでは昭和四三年二月一四日となる。)に対応する製造年月日(当時の事情のもとでは原料ないし共通工程の同一を基準とせざるを得ないので、それは同年二月一七日となる。)のライスオイルを特定させ、その現物を提出させて毒性試験を行つても、果して毒性の再現が得られたかどうかは疑問である。

すなわち、昭和四三年三月当時福岡肥飼検で把握していた有毒ダーク油の飼料会社の受入日は、前示のとおり同年二月一四日受入れ分のみであつて、丙第二三八号証(昭和四三年八月二〇日付中央研究所試験報告「事故飼料の原因追究について(その3)中毒を起こしたカネミ米糠ダーク油の受け入れロットの検討」)及び弁論の全趣旨によれば、東急エビスにおいては同年二月八日製飼料Sブロイラーの給餌試験が同年四月一二日から同年五月一四日にわたり行われており、この試験によつてはじめて二月七日東急エビス受入れダーク油も有毒であつたことが確認された関係にあり、また、丙第三七号証(病性鑑定依頼書)及び同第三九号証(病性鑑定回答書)によれば、家畜衛試が病性鑑定依頼を受けた可検材料も製造年月日が昭和四三年二月一四日に近接した飼料と東急エビスにて同年三月一九日収去時に使用中のダーク油とであつた。

一方、甲第六二七号証、丙第一二五号証(いずれも森本義人証人調書)によると、ダーク油の貯蔵能力は六日分であること、またダーク油の製造工程から分離されたのちの食用油製造工程の通常の所要期間は計算上九日間であることが肯定されるから、二月一四日製造のダーク油に対応するライスオイルは同月一七日以降の分ということになる(脱臭工程でできた飛沫油等の副成物を原油やダーク油に混ぜることを考慮に入れないかぎり右のような対応関係を比定せざるを得ないが、脱臭工程に異常のあつたことが覚知されていない段階では、格別の事情もないのにダーク油の主要な成分でない飛沫油のあわ油等の行方まで考慮した上でダーク油とライスオイルの対応の幅を拡げて比定作業が行われたであろうとは、たやすく考えられない。)。

ところが甲第二〇九号証(丙第一九六号証、油症研究班研究報告集昭和四四年六月)によれば、油症患者の摂取した油の多くは昭和四三年二月五、六、七日製造のものであつて、カン入油については同年二月一五日製造以降のものはカネクロールの混入が証明されておらず、ビン入油については同月一一日製造以降のものはカネクロールは検出限界に近い微量を含んでいるにすぎない。

従つて、右のようにして特定した製造年月日のライスオイルを鶏の飼料に混ぜ、その毒性の有無を試験してみたとしても、当該ダーク油ほどの毒性の再現が得られた可能性は乏しいといわざるを得ない。

それゆえ、矢幅課長及び同課長を含む福岡肥飼検の公務員にとつて、食品衛生担当官庁にダーク油事件を通報するということ自体、油症事故の発生拡大を防止するために必ずしも有効適切な方法であつたともいい難いこととなる。

(二) 農林省本省の公務員

農林省畜産局流通飼料課が福岡肥飼検からダーク油への疑いや立入調査の結果などにつき逐一報告を受けていたことはさきに認定したところであるが、当時同省の公務員が、例えば食糧庁油脂課等とダーク油事件について共同で検討をした結果ライスオイルの製造工程の仕組みなどを知り得たとしても、福岡肥飼検の矢幅課長の見分及びこれに基づく福岡肥飼検の知見を上廻る多くの知見を加え得たとはたやすく認めがたく、従つてダーク油中の有毒物質がPCBであることがいまだ判明していない段階で、右程度の知見からライスオイルの含む毒物による人の健康への具体的な危険の切迫を容易に知り得たとは認め難い。

(三) 家畜衛試の公務員

家畜衛試は昭和四三年三月二五日付で福岡肥飼検から病性鑑定の依頼を受け、再現試験等を行つた後、同年六月一四日右事故の原因がダーク油にあることを判定するとともに「油脂そのものの変質による中毒と考察される。」旨の回答を行つたこと、右回答の「考察」が結果的に誤つたものであることは前記のとおりである、また右回答(丁第三九号証)中、ダーク油の毒性の本態に関する結論部分は無機性有毒化合物の混入が一応否定されるというだけで直ちに油脂そのものの変質による中毒と考察される旨の結論を導き出しており、その間には論理の飛躍があることも肯定せざるを得ないところである。とりわけ、実験の結果ダーク油による中毒鶏の病状が既往アメリカで発生したいわゆるチック・エディマ・ディジーズとほぼ同一であつて、原因物質も同一である可能性のあることまでつきとめながら、その物質が何であるかを追及することなく性急に右のように結論したことは、鑑定の目的がどこまでも原因物質の同定にあつたのだとすれば、不充分であつたといわざるを得ない。

しかしながら、元来、家畜衛試は、昭和四三年当時、農林省の付属機関であつて、その研究第三部に置かれているアイソトープ研究室は、「家畜衛生におけるアイソトープの使用に関する調査及び試験研究を行う」部署であり、小華和は、右アイソトープ研究室に勤務する研究職の公務員であつて(国家行政組織法八条((昭和五八年法律第七七号による改正前のもの))、農林省設置法三条四号、二二条((昭和五三年法律第八七号による改正前のもの))等関係法令及び弁論の全趣旨によつて認める。)、右鑑定依頼は単に試料を送付してその検討を求めたものであることは前示のとおりであるから、その趣旨が当然カネミ工場におけるダーク油の生産工程全体を解明し毒物混入の経緯を判定することにまで及んでいたとは考えがたく、却つて原審における右小華和証人の証言によると、家畜衛試に鑑定の依頼がなされた際の福岡肥飼検からの連絡ではダーク油の製造工程には異常がないということであつた(福岡肥飼検がそのように事態を把握したことを落度としがたいことは前示のとおりである。)ため、小華和としては、そのことを前提としてなおかつカネミのダーク油が中毒原因であり得るか否かを中心に鑑定作業を行えば足りると考えていたものであることが認められる。そうであれば、右のような立場にある小華和がダーク油の病性鑑定の経過において食用油の安全性にまで思いを致さず原因物質の完全な同定を試みなかつたからといつて(実際は、農林省は引続き別に油脂研究会を組織して原因物質の同定のため研究を継続している。)、非難を受くべきいわれはないとせざるを得ない。

そして、仮に、一審原告ら主張のように、小華和が文献調査等によりダーク油中の有毒物質がチック・エディマ・ディジーズの原因物質と当時目されていた有機塩素系化合物と考察される旨の病性鑑定の回答をなしたとしても、前記のような当時の一般的なPCBの毒性認識からすれば、同じ有機塩素化合物の中で特にPCBが鶏の大量へい死事故の原因物資として標的となり得たとはたやすく考えがたいばかりでなく、当時チック・エディマ・ディジーズを含む鶏の被害と人の健康被害とが原因を共通にしていた事例は全く報告されていなかつたのであるから、かかる回答のゆえに福岡肥飼検の矢幅課長をはじめとする農林省の公務員が当然人の健康被害の可能性を予測し得るに至つたということにはならない。すなわち同課長らの認識の程度は、前記のとおり、ダーク油中の有毒物質が食用油と共通工程において存在、生成、混和したのか、分離後の工程で生成、混和したのか、偶々製造後飼料に混和するまでの間に生成、混入したのか一切不明の状態であつて、病性鑑定回答までの間に何ら右情勢の変化があつたと認むべきものはないのであるから、有毒物質が有機塩素系の化合物であることが明らかにされただけではこれを直接PCBに結びつけることは不可能であつたといわざるを得ない。それがPCB(すなわち被控訴人カネミ使用のカネクロール)であることが判明してはじめてその混入経路を追及することが可能となり、その結果によつてはじめて具体的に食油の危険性の認識が可能となるのであるから、結局のところ右有毒物質がPCBであることが鑑定の結果判明しない限り、矢幅らにとつて食用油の危険の切迫を容易に知り得べき情況には達しなかつたといわざるを得ない。そして、ダーク油中の有毒物質がPCBであることが判明したのは、本件油症事件発覚後油症の原因物質がPCBであることが判明した後であることは先に「本件油症事件の発生及び経過の概要について」の項において認定したとおりであつて、ダーク油中の有毒物質の追及ないし同定が容易でなかつたことは右事実及び弁論の全趣旨により明らかである。結局小華和を含む家畜衛試の公務員に本件病性鑑定に関して落度があつたということはできない。

厚生省国立予防衛生研究所の俣野主任研究官は、偶々農林省家畜衛生試験所のダーク油事件に関する病性鑑定書を読み、かつ同事件の概要を知つて、食用油の方にも同一の毒物が混入している可能性があるとしてダーク油を検査してみようと考えた事実のあることは前記のとおりである。しかし同人も農林省からダーク油はすでに廃棄ずみである旨を告げられたあと、特に厚生省管下の食品衛生担当官庁を通じてダーク油の製造日時と関連するカネミ倉庫製造の食用油を取寄せる努力までしたのではないことが窺われるのであつて、結局同主任研究官の抱いた危惧も福岡肥飼検の矢幅課長の抱いたそれと同様、一般的抽象的なものであつたため、油症事故の発生拡大の防止に結びつくに至らなかつたものといわざるを得ない。

なおまた、仮りに同主任研究官が汚染ダーク油を入手し得て原因物質の追及にあたつたとしても、その同定が極めて困難であつたことは前示のとおりであつて、同研究官であればたやすくこれに成功したであろうとみるべき根拠もない。

以上のほか、ダーク油の毒性が油脂の変質によるものであるとした前記家畜衛試の回答が、ダーク油事件の解明ないし油症発生の予測に積極的に悪影響を及ぼしたと認めるに足りる証拠もこれを見出すことができない。

(四) 厚生省(食品衛生行政担当)の公務員

右公務員について前記三要件を肯定すべき事情がないことについての判断は、原判決理由説示(原判決a158頁二行目からa160頁八行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

但し、同a158頁五行目の冒頭から同一〇行目の末尾までを「しかし農林省係官にライスオイルの危険について前記の意味における予見可能性を肯定し得ないこと(なお、仮りに厚生省係官に農林省係官からダーク油事件の概要について連絡通報がなされたとしても厚生省係官にライスオイルの危険について同様の意味での予見可能性が生ずる関係にないこと)は前示のとおりである。」と、同a160頁六行目の「これを充分」を「右危険の切迫を容易に」と、同頁七行目の「過失」を「違法」とそれぞれ改める。

四よつて、被控訴人国には本件油症事件について国家賠償法一条に基づく賠償責任はないというべきである。

第九  被控訴人北九州市の責任

右被控訴人の責任についての判断は、原判決理由説示(原判決a160頁一一行目から一三行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

第一〇  損害総論

油症の病像(油症の概念、油症患者とその診断基準の変遷、油症の現状、ドーズ・レスポンス)、症状各論(皮膚症状、眼症状、全身倦怠感、頭痛と頭重感、その他の神経症状、胃腸症状、呼吸器症状、内分泌障害、肝臓障害、免疫グロブリン、関節痛、高中性脂肪症、油症児、血清過酸化脂質値、油症児に情意障害がみられたとの調査結果、どわすれ・記憶力減退等、その他の一審原告らの愁訴、虚血性心疾患、死亡者)についての判断は、次のとおり付加、訂正するほか原判決理由説示(原判決a162頁二行目から同a182頁末行まで)のとおりであるからこれを引用する。

1原判決a162頁二行目から五行目までの証拠に、「甲第一〇八〇ないし第一〇八二、第一〇九三、第一〇九四、第一一六七号証、丙第六九四、第七六〇、第八二四号証並びに当審証人梅田玄勝及び同奥村英彦の各証言」を加える。

2同頁八行目の「取り入れたことによつて」の次に「急性ないし亜急性に」を加え、九行目の「五三年」を「五七年」と、「一、六八四名」を「一、七八八名」と、一〇行目の「出て今日に至つている」を「出るものと予想される」とそれぞれ改める。

3同a163頁二行目の「二回」を「三回」と改める。

4同a164頁六行目の「カネクロール三〇〇、四〇〇」を「三、四塩素化物」と、七行目の「カネクロール五〇〇、六〇〇、七〇〇」を「五、六、七塩素化物」とそれぞれ改める。

5同a165頁末行の次に改行して「その後、機器分析の進歩により血中PCQ濃度の測定が可能となり、PCQは、患者以外では〇・〇三PPb以上の血中レベルを示すことは少ないことが見出された。他方、典型的油症患者の血中PCBパターン(性状)には独自のものがあるとはいえ、今やその濃度には一般健常者との間の差はみられず、両者の区別はかなり困難となつている。そこでPCQは原因ライスオイルの摂取の有無を判定する上に極めて有用な化合物と考えられるに至り、昭和五六年六月には次表のような診断基準への追加がなされた。」を加える。

油症診断基準(昭和五六年六月一六日追加)油症治療研究班

一、 油症診断基準(昭和五一年六月一四日補遺)中、重要な所見「四、血液PCBの性状および濃度の異常」の次に「五、血液PCQの性状および濃度の異常」を追加する。

二、 今までの研究により、血中PCQの濃度については次のとおり結論した。

(一) 〇・一PPb以上:異常に高い濃度

(二) 〇・〇三〜〇・〇九PPb:(一)と(三)の境界領域濃度

(三) 〇・〇二PPb(検出限界)以下:通常にみられる濃度

6同a166頁一〇行目の「一三年」を「一七年」と改め、同頁一三行目の「瘢痕」の次に「及び歯牙異常」を加え、同頁末行及びa167頁一行目の「カネクロール五〇〇、六〇〇、七〇〇」を「五、六、七塩素化物」とそれぞれ改める。

7同a167頁九行目の「一三年」を「一七年」と、一三行目の「ポリ塩素」を「ポリ塩化」と、一六行目の「は未だ検出されていないが」から同行目の「推定されており」までを「もその存在が確認されており」と、一七行目の「これら物質」を「PCDF」とそれぞれ改め、一八行目の「加熱されるため」の次に「PCDF及びPCQが」を加える。

8同a168頁二、三行目全部を「これらPCQ及びPCDFもPCB同様徐々に自然排泄される(PCDFの排泄速度はPCBと同程度、PCQのそれはPCBよりやや遅いと考えられている。)ものであることは認められるものの、これら物質の人体に及ぼす影響については今日なお充分解明されているものとは認め難い。」と改め、同頁五行目の「というのが」の次に「ドーズ・レスポンスすなわち薬理学上の」を加え、一四行目の「しかしながら」を削り、同行目の「一三年」を「一七年」と、一六行目の「治癒するものと思われる。」を「治癒する筈であるが、問題はPCB、PCQ、PCDFの体内における高残留性すなわち長期にわたり継続するその毒性の作用にある。」と、各改める。

9同a171頁四行目及び一〇行目の各「瀕度」をいずれも「頻度」と改める。

10同a172頁二行目の「もともと」から四行目の「微量であつて」までを「油症患者の脳波異常も証明されておらず、動物実験においてもPCB投与によつて脳波及び電撃ケイレンの経過に変化はなかつたという報告がなされており」と、同a173頁三行目の「進められる」を「認められる」と、同七行目の「瀕度」を「頻度」と、各改める。

11同a174頁一一行目の「、性状」を削り、同行目の「認められ」の次に「(性状との関連はみられない。)」を加える。

12同a179頁三行目の「瀕度」を「頻度」と改め、同四行目の末尾に改行して「また油症児には歯牙萌出遅延、歯胚欠損、過剰歯、歯根の形態異常等の歯牙異常が多くみられ、PCBにより間接的に影響を受けている可能性があり、今後さらにこれらの追跡調査及び症状発現機序の究明が必要である。」を加える。

13同a180頁一六行目の「疑問であり、」の次に「また、右志田医師は休憩効果率の低下は一種の疲労を示すにすぎないと述べており、」を加える。

14同a181頁一一行目の「萌出遅延」の次に「等の歯牙異常」を、同頁一四行目末尾に改行して「18.虚血性心疾患について

〈証拠〉及び原審証人梅田玄勝の証言によれば、同医師は、昭和五六年八月一七日から同年一二月二六日にかけて、四〇歳以上の油症患者九七人及びその対照者(コントロール群)七七人について、自転車エルゴメーター負荷試験を行い、その結果によれば油症患者の方が中断者が有意に多かつたから油症患者に病的疲れがあることが考察され、これは虚血性心疾患につながる状態だというが、〈証拠〉によつて認められるエルゴメーター負荷試験時の心電図所見では油症患者の方が異常率が低い傾向にあること及び同試験時の平均心拍数はむしろコントロール群の方が高い傾向にあること等に照し、右梅田医師の指摘は未だ採用することはできない。

また、〈証拠〉によれば、梅田医師は前記九七名の油症患者群について安静時心電図をとつて調査したところ虚血性変化を示すもの及び心筋梗塞を過去に起したと思われる所見が一般に比較して多いとし、このことから油症患者は虚血性心疾患になる可能性が一般より高いと述べる。

しかし、〈証拠〉によれば、右調査はコントロール群の安静時心電図との比較がなされていないこと及び負荷心電図ではコントロール群の方がむしろ異常率が高いという前記の傾向に照し、梅田医師の右指摘も未だ採用することができない。」をそれぞれ加える。

15同a181頁一五行目の「18」を「19」と改める。

16同a182頁五行目の「年六月二日死亡)」の次に「亡古賀幸次郎(昭和五九年一月一二日死亡)、亡藤川曻(昭和五八年一二月五日死亡)、亡吉井克祐(昭和五九年八月一日死亡)、亡安藤勝磨(昭和五七年七月二六日死亡)、亡飯塚博(昭和五六年二月七日死亡)、亡飯塚フサ子(昭和五八年一〇月一二日死亡)、亡松原美智子(昭和五八年六月四日死亡)、亡鳥巣ソヨ(昭和五七年六月一五日死亡)、亡竃窄ミ子(昭和五六年一〇月三日死亡)」を、八行目の「心筋梗塞」の次に「、亡古賀幸次郎の死因が脳挫傷、亡藤川曻、同安藤勝磨、同松原美智子の死因が心筋梗塞、亡吉井克祐の死因が脳出血、亡飯塚博、同竃窄ミ子の死因が肺炎、亡飯塚フサ子の死因が肝がん、亡鳥巣ソヨの死因が老衰」をそれぞれ加え、同頁六、七行目の死亡者の死因を、亡下石百合「術後心不全」、亡長野照子「小脳出血」、亡小松ハルヨ「心筋梗塞」、亡稗田キヨノ「敗血症」と、九行目の「原告らの主張」を「後記認定の右死亡者の死因」と、一二行目から末行まで全部を「これを疫学的にみるに、丁第九二号証、第九三号証の二によれば、昭和五五年五月末現在の油症患者の死亡数は八五名で、その死因は悪性新生物二三名、全死亡者に対する割合は二七%、心疾患二二名で二五・八%、脳血管疾患一一名で一二・九%であり、一方同五四年度の日本人の死亡統計からすると、悪性新生物による死亡者の全死亡者に対する割合は二二・七%、脳血管疾患が二三%、心疾患が一六・二%となつており、その間に特異的なものとして有意差がないことが認められる。

また、死亡率について考察するに、丙第二九三号証の一ないし三(人口動態統計)、丁第五九号証(九大油症研究報告第七集)、第九二号証(死亡患者名簿)及び弁論の全趣旨によれば、油症認定患者は、昭和四三年一〇月から同五三年度までで一六八四名であり、昭和四四年から同五五年五月までに油症認定患者であつた者のうち八五名が死亡していること、厚生省の人口動態統計の昭和四四年から同五三年までの人口一〇万人当りの男女別、年齢層別の死亡率により、油症認定患者集団について各年毎に男女別、年齢層別に分けて計算してみると、昭和四四年から同五五年五月(同五四、五五年は同五三年度の統計により計算)までの間で油症患者一六六六人(一審被告鐘化により生年月日を把握できた人数)に相当する集団の日本人死亡率による死亡者数は約九五名となること、したがつて油症患者の中で同期間において実際に死亡した人数八五名は全国統計死亡率によるよりも少ないことが認められる。

ところで、〈証拠〉、原審証人梅田玄勝の証言によれば、同医師らは、全国統一民事訴訟の原告油症患者一〇八六人のうち、昭和四三年一月三一日までに誕生した患者一〇三九人(男性五五二人、女性四八七人)中昭和四四年一月一日から同五八年一〇月三一日までに死亡した患者七〇人(男性四二人、女性二八人)の死因を疫学的に調査したところ、男性においては悪性新生物特に肝臓の悪性新生物、女性においては虚血性心疾患の標準化死亡比が有意に高いことが観察されたという。

しかし、右〈証拠〉によれば、梅田医師らにおいても、死亡総数に関しては年齢(五歳階級)別あるいは年次別の観察死亡数と期待死亡数との間には有意な差はなく、特定の年齢階級及び年次における死亡の集積は観察されなかつたとしていることが認められる。

そうすると、油症患者特有の死亡原因がもしあるとすれば、一般の死亡率にその分だけ加算増加するはずであるから、油症患者の死亡率は全体として高くなるはずである。にもかかわらず、前記のとおり油症患者の全体としての死亡率は一般と変らないかむしろ低いことが明らかであるから、油症患者特有の死亡原因が存在するとする前記梅田医師らの調査には疑問があり、その結論は未だ採用できない。

また、〈証拠〉及び鑑定人占部治邦外の鑑定の結果によれば、占部医師らは油症患者死亡者が油症が原因となつて死亡したという確証はなく、各死亡者の死因と油症との間の因果関係は不明といわざるをえないと述べていることが認められる。

以上によれば、各死亡者らの死亡と油症との間に因果関係があることを前提に、死亡者に対し一律加算を求める一審原告らの主張は採用することができない。」とそれぞれ改める。

第一一  損害各論

一重症度と慰謝料算定について

重症度と慰謝料算定についての判断は原判決理由説示(原判決a183頁三行目から末行まで、但し末尾に改行して「この点の一審原告らの主張は採用できない。」を加える。)のとおりであるからこれを引用する。

二症状鑑定について

当審において、一審原告ら油症患者全員に対して、油症による障害の程度並びに軽快の推移、死亡者に対しては死亡と油症との因果関係並びに死亡に至るまでの油症による障害の程度及びその推移についての症状鑑定を行つた。

すなわち、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

九州大学医学部教授占部治邦を代表世話人とする一一人の鑑定人によつて一審原告らの患者カード、油症患者検診票、カルテ等に一審原告本人らの陳述書を加えたものを基礎資料として症状鑑定が行われたが、この鑑定に当つては、内科、歯科、皮膚科、神経科、眼科、産婦人科、小児科並びに血中PCB濃度分析の各専門分野から鑑定人が選ばれ、これまでの診断の経緯に鑑み皮膚症状と内科的症状とを二つの大きな柱として、各分野ごとにそれぞれ概括的な診断基準を設け、それらの基準に沿って各鑑定人が各患者ごとの全資料を点検して一応のランク付けをなし、更にそれを鑑定人会議で検討する手続を踏んだ。そして、その結果次のような症度の分類がなされ、これに基づいて、本判決別紙(六)油症患者被害認定一覧表中「症度」欄記載のとおり、各一審原告ら油症患者のランク付けがなされたことが認められる。

症度4(重 症)

常時医療を要し、日常生活においてしばしば休養を要するもの

症度3(中等症)

症度4と症度2の中間の程度のもの

症度2(軽 症)

日常生活に支障はないが、なお若干の症状を有するもの

症度1

ほとんど症状のないもの

なお、同鑑定結果は、提出された資料が乏しく、鑑定人の過半数が症度の判定ができないとしたものを鑑定不能ということにしたが、初期(昭和四三年―四五年)について一審原告ら患者のうち大多数が、中期(同四六年―五〇年)については若干名が、後期(同五一年以降)については半数近くが鑑定不能となつている。

三症状格付け及び慰謝料額について

本件においては、既に認定したように人の生命を維持して行くうえに不可欠であり、しかも誰もが絶対に安全であると信じていた食用油中に毒物が混入して惹起された事件であり、一審原告ら被害者にとつてはこれを避けようとしても避けることができなかつたものであつてなんらの過失もなかつたことが特徴的である。

そこで、当裁判所としては、発症以来現在に至るまでの一審原告ら各人の症状を原判決別紙(七)油症患者認定一覧表(一)(原告ら)、(二)(死亡患者)のとおり認定し(同一覧表の「家族発症による加算の要否」「特記事項」「重症度の認定」「認容金額」「相続金額」欄の記載を除きこれをここに引用する。)、現在に至るまでの症状で右一覧表に付加訂正すべき主な症状等は本判決別紙(六)油症患者被害認定一覧表中の「当審において新たに認定に供した証拠」欄記載の証拠によつて、同表中の「原判決に付加訂正すべき主な症状等」欄記載の付加訂正すべき症状及び特記事項の存在を認定し、これに前記本件の特殊事情を併せ考え、次のとおりの基準によつて慰謝料額を算定する。すなわち、油症患者に対する症度区分は基本として重症、中症、軽症、ごく軽い症状の四段階に分類するが、重症、中症、軽症に該当するもののうち、生活に支障をきたす頑固な症状が継続しているものについて、重症、中症、軽症の各ランクの上に一ランクを設け、最も重い症状、中症の上、軽症の上として格付け勘案し、結局慰謝料額は、

最も重い症状 一、二〇〇万円

重  症 一、〇〇〇万円

中症の上 八〇〇万円

中  症 七〇〇万円

軽症の上 六〇〇万円

軽  症 五〇〇万円

ごく軽い症状 四〇〇万円

と定める。

しかし、いわゆるカネミ油症第二陣訴訟である本件損害賠償請求における一審原告ら油症患者は第一陣の油症患者と比較して総体的に症状が軽く、「最も重い症状」「重症」に該当すべきものは見当らない。

なお、一審原告らは一名を除き他のすべてについて、初期、中期、後期の一部が鑑定不能であるところ、鑑定不能部分の取り扱いについては、証拠がないものとして最低のランク付けを行うという考え方も有りうると思われるが、油症が家族発生であり、同一家族内での血中PCBパターンの一致率も非常に高いので、少なくとも認定時期が同一又は近接している者においては、同一家族内で勤務の都合、学業、健康状態等により汚染油の摂取量が著しく異なる等特別の事情のない限り、できるだけ他の家族構成員の症度を参考にし、これを控え目に認定して行くこととした。

四一審原告らの個別損害について

1以上により、一審原告ら各人の本件油症被害による慰謝料額は(死亡油症患者の相続関係は後記2認定のとおり)本判決別紙(七)認容金額一覧表(一審原告らのうち固有の損害と相続による損害とを併せて請求しているものについては固有分と相続分とに分けて記載した。以下、同じ。)「慰謝料額」欄記載の金額をもつて相当と認める。

2死亡油症患者の相続関係について

死亡した油症患者の相続関係は当審において新たに主張された権利の承継を次のとおり付加するほか原判決理由説示(原判決a186頁六行目からa187頁一五行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

古賀幸次郎(〈証拠〉)、藤川曻(〈証拠〉)、吉井克祐(〈証拠〉)、安藤勝磨(〈証拠〉)、飯塚博(〈証拠〉)、飯塚フサ子(〈証拠〉)、松原美智子(〈証拠〉)、鳥巣ソヨ(〈証拠〉)、竃窄ミ子(〈証拠〉)が一審原告ら主張の日に死亡したこと及び右死亡患者につき一審原告ら主張のとおり相続が開始したことが前掲各証拠及び弁論の全趣旨によつて認められる。

五弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、一審原告らは一審原告ら訴訟代理人である各弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任し、代理人らが本件一、二審を通じて訴訟活動を行つてきたことが認められ、本件訴訟の難易、特異性、原告数約三五〇人にも及ぶ集団訴訟であること並びに認容金額等を考慮し、それぞれ認容した慰謝料額の約七パーセントにあたる本判決別紙(七)認容金額一覧表中の「弁護士費用」欄記載の各金員をもつて各一審原告らの本件事故と相当因果関係のある弁護士費用と認める。

第一二  結論

以上の次第であるから、一審原告らの本訴請求は、被控訴人カネミ、同加藤に対する関係においては、本判決別紙(七)認容金額一覧表「認容金額」欄記載の金額及びこれに対する本件不法行為の後であることが明らかな昭和四三年一一月一日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の不真正連帯支払いを求める限度で正当であるが、その余はいずれも失当といわねばならず、また一審原告らの一審被告鐘化、被控訴人国、同北九州市に対する本訴請求はいずれも理由がないものといわねばならない。

よつて、右と趣旨を異にする一審原告らと被控訴人カネミ、同加藤に関する原判決部分を一審原告らの控訴に基づき主文第一項のとおり変更し、一審原告らと一審被告鐘化に関する原判決部分を一審被告鐘化の控訴に基づき主文第二項のとおり変更し、一審原告らの一審被告鐘化に対する控訴及び拡張請求は理由がないからこれを棄却し、一審原告らと被控訴人国、同北九州市に関する原判決はいずれも正当であるから一審原告らの被控訴人国、同北九州市に対する控訴及び拡張請求を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九五条、九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蓑田速夫 裁判官柴田和夫 裁判官木下順太郎)

別紙(3) 請求債権額一覧表

一審原告番号

一審原告氏名

慰藉料請求金額(円)

弁護士費用(円)

合計額(円)

固有分

相続分

第一次  一六

岩下千枝子

二五、〇〇〇、〇〇〇

四、一六六、六六六

二、九一六、六六六

三二、〇八三、三三二

〃二九

古賀イツヱ

二三、〇〇〇、〇〇〇

一二、五〇〇、〇〇〇

三、五五〇、〇〇〇

三九、〇五〇、〇〇〇

〃三三

古賀次郎

二五、〇〇〇、〇〇〇

四、一六六、六六六

二、九一六、六六六

三二、〇八三、三三二

〃三四

古賀忠幸

二五、〇〇〇、〇〇〇

四、一六六、六六六

二、九一六、六六六

三二、〇八三、三三二

〃九一の一

藤川至

三、八三三、三三三

三八三、三三三

四、二一六、六六六

〃九一の二

藤川久美子

三、八三三、三三三

三八三、三三三

四、二一六、六六六

〃九一の三

木村京

三、八三三、三三三

三八三、三三三

四、二一六、六六六

〃一三九の一

吉井克也

二、八〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

三、〇八〇、〇〇〇

〃一三九の二

壹岐初枝

二、八〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

三、〇八〇、〇〇〇

〃一三九の三

伊﨑久惠

二、八〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

三、〇八〇、〇〇〇

〃一三九の四

吉井和男

二、八〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

三、〇八〇、〇〇〇

〃一三九の五

吉井洋三

二、八〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

三、〇八〇、〇〇〇

〃一四〇

吉井綾子

二三、〇〇〇、〇〇〇

一四、〇〇〇、〇〇〇

三、七〇〇、〇〇〇

四〇、七〇〇、〇〇〇

第二次

一〇の一

安藤介友

五、七五〇、〇〇〇

五七五、〇〇〇

六、三二五、〇〇〇

〃一〇の二

吉本二三枝

五、七五〇、〇〇〇

五七五、〇〇〇

六、三二五、〇〇〇

〃一一

安藤コズヱ

一八、〇〇〇、〇〇〇

一一、五〇〇、〇〇〇

二、九五〇、〇〇〇

三二、四五〇、〇〇〇

〃四六の一

飯塚辰也

二、〇八三、三三三

二〇八、三三三

二、二九一、六六六

〃四六の二

近江筆子

一、〇四一、六六六

一〇四、一六六

一、一四五、八三二

〃四六の三

飯塚陽子

三四七、二二二

三四、七二二

三八一、九四四

〃四六の四

飯塚英光

三四七、二二二

三四、七二二

三八一、九四四

〃四六の五

長濵加代子

三四七、二二二

三四、七二二

三八一、九四四

〃四六の六

飯塚利勝

三四七、二二二

三四、七二二

三八一、九四四

〃四六の七

甲斐登美雄

三四七、二二二

三四、七二二

三八一、九四四

〃四七の一

飯塚史雄

二七、五四一、六六六

二、七五四、一六六

三〇、二九五、八三二

〃四七の二

飯塚真弓

二七、五四一、六六六

二、七五四、一六六

三〇、二九五、八三二

〃六七

藤川アキ

二〇、〇〇〇、〇〇〇

一一、五〇〇、〇〇〇

三、一五〇、〇〇〇

三四、六五〇、〇〇〇

〃八四

松原勤

二五、〇〇〇、〇〇〇

一四、〇〇〇、〇〇〇

三、九〇〇、〇〇〇

四二、九〇〇、〇〇〇

〃八五の一

濱名淳子

一四、〇〇〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

一五、四〇〇、〇〇〇

第四次

一五の一

春山英信

二、八七五、〇〇〇

二八七、五〇〇

三、一六二、五〇〇

〃一五の二

髙橋順子

二、八七五、〇〇〇

二八七、五〇〇

三、一六二、五〇〇

〃一五の三

鳥巣れい子

五、七五〇、〇〇〇

五七五、〇〇〇

六、三二五、〇〇〇

〃一五の四

鳥巣守

五、七五〇、〇〇〇

五七五、〇〇〇

六、三二五、〇〇〇

〃一五の五

鳥巣まり子

五、七五〇、〇〇〇

五七五、〇〇〇

六、三二五、〇〇〇

〃二八の一

竃窄武雄

四、六〇〇、〇〇〇

四六〇、〇〇〇

五、〇六〇、〇〇〇

〃二八の二

前田助松

四、六〇〇、〇〇〇

四六〇、〇〇〇

五、〇六〇、〇〇〇

〃二八の三

竃窄末光

四、六〇〇、〇〇〇

四六〇、〇〇〇

五、〇六〇、〇〇〇

〃二八の四

岩坂エチ子

四、六〇〇、〇〇〇

四六〇、〇〇〇

五、〇六〇、〇〇〇

〃二八の五

福本福一

四、六〇〇、〇〇〇

四六〇、〇〇〇

五、〇六〇、〇〇〇

別紙(7) 認容金額一覧表

(注) 一審原告らのうち、固有分と相続分とを併せて請求しているものについては、固有分と相続分とに分けて記載した。

一審原告番号

一審原告氏名

慰謝料額(円)

弁護士費用(円)

認容金額(円)

固有分

相続分

第一次   一

横地秀夫

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二

横地道江

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三

横地宏志

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四

天本 旭

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃五

池内冨美子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃六

野村壽子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃七

池内ひとみ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃八

石松哲也

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九

石松キヨ子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一〇

石松 忠

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一一

石松敬二

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一二

出田龍彦

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三

出田ミドリ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一四

出田博子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一五

井上昭二

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一六

岩下千枝子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

八三三、三三三

五〇、〇〇〇

八八三、三三三

〃一七

岩下なおみ

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一八

岩下由香

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一九

岩谷光芳

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二〇

岩谷妃佐子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二一

梅田 林

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二二

梅田ミサヲ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二三

小川ナツエ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二四

小川裕美子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二五

金子治之助

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二六

金子ウメ子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二七

金子秀昭

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二九

古賀イツヱ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃三〇

古賀眞一郎

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三一

古賀孝子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三二

古賀眞理

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三三

古賀次郎

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

八三三、三三三

五〇、〇〇〇

八八三、三三三

〃三四

古賀忠幸

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

八三三、三三三

五〇、〇〇〇

八八三、三三三

〃三五

古賀チエコ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三六

古賀浩一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三七

古賀 敦

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三八

児髙ミヨコ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃三九

児髙 博

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四〇

兒髙利勝

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃四一

眞田香世

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃四二

下石 昇

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃四三

下石安江

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃四四

下石正弘

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃四五

下石由美子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四六

髙山佳子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四七

田中妙子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四八

田中公朗

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四九

土肥シヅエ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五〇

土肥憲一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五一

中山弘志

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五二

長野正慶

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

一、六六六、六六六

一一〇、〇〇〇

一、七七六、六六六

〃五四

長野慶吉

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

三、三三三、三三三

二三〇、〇〇〇

三、五六三、三三三

〃五五

荷宮直人

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五六

荷宮昌子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃五七

野上正義

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃五八の一

中野千晴

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃五八の二

羽根千歳

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃五八の三

市野曜子

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃五九

藤井 均

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六〇

本間 実

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六一

久保地初子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六二

森本絹代

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六三

亀スヱコ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六四

有田武志

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六五

有田健治

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六六

有田勇次

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六七

田尻千代美

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六八

白間佐登美

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃六九

加生秀仁

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七〇

神田康子

八、〇〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、五六〇、〇〇〇

〃七一

新宅浩一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七二

神田真弓

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七三

熊本憲二

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃七四

久保サチ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七五

小松 亘

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七六の一

小松ヒロエ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七七

建井智郎

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃七八

谷川利憲

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃七九

谷川那子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃八〇

谷川公子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八一

谷川泰子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八二

谷口 功

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八三

谷口春美

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八四

谷口博明

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八五

谷口大輔

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八六

谷口英樹

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃八七

谷口シズエ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃八八

谷口多美子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八九

藤川俊雄

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃九〇

藤川美由紀

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九一の一

藤川 至

六六六、六六六

四〇、〇〇〇

七〇六、六六六

〃九一の二

藤川久美子

六六六、六六六

四〇、〇〇〇

七〇六、六六六

〃九一の三

木村 京

六六六、六六六

四〇、〇〇〇

七〇六、六六六

〃九二

生田高夫

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九三

伊東五惠

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九四

久保千代香

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九五

伊東敬司

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九六

伊東巨哉

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃九七

伊藤文博

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九八

岩根タヨ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九九

海野靜江

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇〇

川村イツ子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一〇一

川村スミ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇二

柴田すゞよ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一〇三

永沼京子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇四

稗田萬吾

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇五

稗田スミヱ

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一〇六

稗田和之

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇七

金子久子

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一〇八の一

久保田ハリエ

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇八の二

楢原マキヨ

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇八の三

稗田好行

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇八の四

廣木ヤス子

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇八の五

森イワ子

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇八の六

吉田タツ子

五七一、四二八

四〇、〇〇〇

六一一、四二八

〃一〇九

稗田清人

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一〇

藤島英彦

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一一一

馬田春美

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一一二

松田良二

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一一三

松田悦子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一四

松田耕一

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一五

三苫和子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一六

三苫哲也

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一一七

森 俊雄

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一八

森 俊市

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一九

森山 魁

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一二〇

森山チヨキ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一二一

森山 隆

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一二二

山口明美

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一二三

山口吉晴

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一二四

髙木正志

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一二五

永井真二

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一二六

永井隆幸

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一二七

平島政幸

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一二八

平島政典

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一二九

磯部友一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三〇

伊藤常藏

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一三一

岩見高士

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三二

岩見美津子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三三

亀本和一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三四

國安アサ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三五

本田トキヨ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三六

村岡春雄

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一三七

山根文一

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一三八

山根ツユ

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一三九の一

吉井克也

四〇〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

〃一三九の二

壹岐初枝

四〇〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

〃一三九の三

伊﨑久惠

四〇〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

〃一三九の四

吉井和男

四〇〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

〃一三九の五

吉井洋三

四〇〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

〃一四〇

吉井綾子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

二、一四〇、〇〇〇

〃一四一

梅田 清

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一四二

久保富三

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一四三

笹本吉彦

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一四四

實田哲三

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一四五

實田志津江

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一四六

杉岡守男

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一四七

原  博

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一四八

福島良英

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一四九

藤原 巖

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一五〇の一

堀川八枝子

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

二、一四〇、〇〇〇

〃一五〇の二

山本富美枝

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一五〇の三

掘川晃一

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一五〇の四

掘川悟志

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一五一

渡邉数彦

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一五二

和田靜夫

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一五三

山田博史

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一五四

衣笠登美子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一五五

川原功伴

八、〇〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、五六〇、〇〇〇

第二次   一

馬塲耕治

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二

出田 茂

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三

上田ミツル

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四

谷頭 清

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃五

小平民子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃六

黒田祥男

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃七

大野蔦子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃八

大野利彦

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九

大野輝正

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇の一

安藤介友

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃一〇の二

吉本二三枝

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

一一

安藤コズエ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃一二

西中大典

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三

吉田久枝

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一四

秋武京一

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一五

赤星安幸

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一六

赤星アツ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一七

赤星弘之

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一八

赤星節子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一九

赤星晴美

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二〇

金丸 昇

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二一

金丸智江子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃二二

金丸政章

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二三

金丸晃司

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二四

金丸園望

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二五

奥江靜太郎

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二六

奥江文子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二七

小跨淳子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二八

小跨千砂恵

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二九

浅野政義

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三〇

浅野ヱミ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三一

大城戸時正

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三二

大城戸紀卋子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三三

大城戸正弘

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃三四

江本和洋

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三五

江本洋二

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三六

西 傳七

八、〇〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、五六〇、〇〇〇

〃三七

西 キヨ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三八

倉元諄士

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃三九

北本盡吾

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃四〇

小野田末吉

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四一

田村一雄

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四二

田村美佐子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四三

古本和美

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四四

中島スヱ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四五

田村勝俊

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四六の一

飯塚辰也

三三三、三三三

二〇、〇〇〇

三五三、三三三

〃四六の二

近江筆子

一六六、六六六

一〇、〇〇〇

一七六、六六六

〃四六の三

飯塚陽子

五五、五五五

三、〇〇〇

五八、五五五

〃四六の四

飯塚英光

五五、五五五

三、〇〇〇

五八、五五五

〃四六の五

長濱加代子

五五、五五五

三、〇〇〇

五八、五五五

〃四六の六

飯塚利勝

五五、五五五

三、〇〇〇

五八、五五五

〃四六の七

甲斐登美雄

五五、五五五

三、〇〇〇

五八、五五五

〃四七の一

飯塚史雄

亡中田新次郎分

八三三、三三三

五〇、〇〇〇

四、六二三、三三三

亡飯塚博分

一、五〇〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

亡飯塚フサ子分

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

〃四七の二

飯塚真弓

亡中田新次郎分

八三三、三三三

五〇、〇〇〇

四、六二三、三三三

亡飯塚博分

一、五〇〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

亡飯塚フサ子分

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

〃四八

荒牧光男

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四九

上野美知子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃五〇

上野真奈美

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃五一

上野美穂

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃五二

上野利恵

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃五三

中島康浩

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃五四

小澤カズ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五五

長谷部ふじ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五六

中山 篤

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃五七

中山ユキヨ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃五八

中山百合子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃五九

中山 徹

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃六〇

中山 寛

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃六一

中山ヒサヨ

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六二

中山広子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六三

中山美子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六四

中山恒芳

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

三八〇、九五二

二〇、〇〇〇

四〇〇、九五二

〃六五

牧野千代子

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃六六

松島正晴

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃六七

藤川アキ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

二、一四〇、〇〇〇

〃六八

田中熊夫

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃六九

花田小夜子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃七〇

白石 清

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃七一

温井保生

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃七二

原田ナツヱ

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃七三

池見貢市

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃七四

池見昭子

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃七五

池見 繁

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七六

池見由佳

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七七

三苫 壽

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃七八

堀之内和紀

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃七九

堀之内由美子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八〇

髙山靜子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃八一

中島秀雄

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃八二

中島倭子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃八三

林 團一

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃八四

松原 勤

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃八五の一

濱名淳子

二、五〇〇、〇〇〇

一七〇、〇〇〇

二、六七〇、〇〇〇

〃八六

松岡静代

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八七の一

松本淑枝

二、〇〇〇、〇〇〇

一四〇、〇〇〇

二、一四〇、〇〇〇

〃八七の二

松本政義

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃八七の三

松本芳之

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃八七の四

松本広司

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃八八

向井健二郎

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃八九

赤木治敏

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃九〇

森元智徳

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃九一

高森 大

八、〇〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、五六〇、〇〇〇

〃九二

岡田公夫

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃九三

丸橋史典

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九四

河野安宣

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九五

小林静雄

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九六

敷田圭吾

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃九七

大塲聖治

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九八

奥川隆明

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃九九

松下君江

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一〇〇

白砂作一

八、〇〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、五六〇、〇〇〇

〃一〇一

林 信夫

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一〇二

林 謙次

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一〇三

林 純治

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一〇四

武生君子

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一〇五

武生直文

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一〇六

武生正文

一、三三三、三三三

九〇、〇〇〇

一、四二三、三三三

〃一〇七

髙田靜子

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

〃一〇八

髙田 一

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

〃一〇九

髙田了一

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

〃一一〇

青山洋子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

〃一一一

多賀谷暢子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

〃一一二

鯨井惠子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

〃一一三の一

髙橋ユキ子

一、六六六、六六六

一一〇、〇〇〇

一、七七六、六六六

〃一一三の二

中田義行

一、六六六、六六六

一一〇、〇〇〇

一、七七六、六六六

第三次   一

大脇敏雄

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二

大脇博樹

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三

大脇健二

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃四

這越秀人

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五

這越知之

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六

道脇留男

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃七

道脇正子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八

道脇信子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九

前島 滿

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一〇

前島 武

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一

前島 太

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一二

橋口雅彦

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

第四次   一

谷合正則

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二

大井善兵衛

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三

久保眞喜子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四

大井徳幸

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃五

大井久美子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃六

大井善隆

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七

大井マシ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃八

須田照藏

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃九

簗脇マツ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一〇

川尻夏子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一

柿山直四郎

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一二

永尾和寿

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一三

永尾 博

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一四

吉村幸子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一五の一

青山英信

六二五、〇〇〇

四〇、〇〇〇

六六五、〇〇〇

〃一五の二

髙橋順子

六二五、〇〇〇

四〇、〇〇〇

六六五、〇〇〇

〃一五の三

鳥巣れい子

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃一五の四

鳥巣 守

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃一五の五

鳥巣まり子

一、二五〇、〇〇〇

八〇、〇〇〇

一、三三〇、〇〇〇

〃一六

道端光次郎

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

〃一七

荒木 淳

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一八

出口朱美

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃一九

藤原 真

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二〇

橋本たき子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二一

宗 光枝

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二二

泉谷政子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二三

戸町久幸

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二四

上川ユキ子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃二五

上川長伸

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二六

七田浩二

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二七

山﨑今日子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃二八の一

竃窄武雄

一、〇〇〇、〇〇〇

七〇、〇〇〇

一、〇七〇、〇〇〇

〃二八の二

前田助松

一、〇〇〇、〇〇〇

七〇、〇〇〇

一、〇七〇、〇〇〇

〃二八の三

竃窄末光

一、〇〇〇、〇〇〇

七〇、〇〇〇

一、〇七〇、〇〇〇

〃二八の四

岩坂エチ子

一、〇〇〇、〇〇〇

七〇、〇〇〇

一、〇七〇、〇〇〇

〃二八の五

福本福一

一、〇〇〇、〇〇〇

七〇、〇〇〇

一、〇七〇、〇〇〇

〃二九

伊東昭典

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三〇の一

渡辺リイ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三一

水谷エイ子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三二

重田 豊

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三三

重田スヱノ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三四

中道 弘

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三五

中垣貞子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三六

中垣良平

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃三七

前野幸子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃三八

細木加代子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

第五次   一

轟木 環

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃二

車 丁字

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃三

田中實榮子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃四

真子みち子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃五

正岡美穂子

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃六

山本 勇

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃七

山本ツヤ子

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃八

井形順吾

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃九

平野チサト

四、〇〇〇、〇〇〇

二八〇、〇〇〇

四、二八〇、〇〇〇

〃一〇

原章

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

〃一一

平手敏昭

六、〇〇〇、〇〇〇

四二〇、〇〇〇

六、四二〇、〇〇〇

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